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京都の外れの伝説のカーショップで考えた「起業がもたらす幸福」とは?

起業で幸せ(well being)になるには?

「あの時は悩みましたけど、今となっては本当に正解で。こういうお店にして、お客さんもシトロエンが好きな人しか来ないですし、そういうお客さん相手にメンテナンスや修理の方針や価格も納得して決められますし、ノーストレスですわ」

 初めての出会いから二年後の一回目の車検の際、外車ゆえに高い整備費用を覚悟して請求書を見た時、整備内容に比べて以外なほどに安価だったのを驚いた私を見て、社長は本当にいい笑顔で、そう言いました。

 最近、久しぶりに自宅の近所でかつて私が乗っていたのと同じ型式のエグザンティアを見て社長の笑顔が脳裏に浮かび、ふとWiklundたちが2019年に書いた以下の論文のことを思い出しました。

Wiklund, J., Nikolaev, B., Shir, N., Foo, M. D., & Bradley, S. (2019). Entrepreneurship and well-being: Past, present, and future. Journal of business venturing, 34(4), 579-588.

 これはJournal of Business Venturingというこの分野のトップジャーナルの特集号の巻頭論文なのですが、テーマは起業と幸福な人生(Well-being)の関係です。

 ベンチャーや起業というと、株式上場後に一夜にして総資産が億単位に増えることや、雇用やGDPにどれだけ貢献しているのかや、売上高や純利益の成長率で評価されてきました。それこそ、つい数年前まで私が国内の学会で私が研究報告すると、「その事例の対象になった企業のうち、上場している会社は何社か?」と質問され、「未上場です」と応えると「それはベンチャーでは無い!」と反論(私にとってはイチャモンに思えたのですが)されるのが、当たり前の風景でした。

 その学会の現状に風穴を開けたのが、この特集号でした。Wiklundたちは、なぜ人々が起業を選択するのかについて、そもそも思い通りに成功するとは限らないのであるから、経済的な成功・失敗を基準に考えるのは不十分ではないかと指摘します。そして、起業という行動から得られる幸福を新たな尺度としてみていくことで、この行動が企業家のみならず、家族や取引先、お客様といったステイクホルダーの幸福に広がるという視点を持つことの重要性を強調します。

 この特集号では、Wiklundの呼びかけに応えて「幸福度」を測定するいろいろな尺度を検討して起業がもたらす幸福について議論しているのですが、私から一つ注文をつけるとすれば起業から「幸福」を得るために適切な規模をいかにコントロールしていくのかという視点が抜けていることです。

 それこそ、シトロエンが好きで、長く乗りたいお客さまを「選べる」規模を維持するため、社長は京都の山深くに、気心の知れたスタッフと共に手作りの事務所を構えました。売上を求めるなら、もっとアクセスの良い立地で起業すべきだったでしょう。しかしそれでは、かつて社長を悩ませた「ストレス」からは解放されないのです。心からの笑顔で家族やスタッフ、お客様と接することを理想として、いかに経営規模や売上を自制的にコントロールしていくのか。近所のエグザンティアが、都内のちょっとした路面の凸凹に反応して派手に車の車高が上下している様子を見て「整備状況が良くないなぁ」と思いながら走り去るのを眺めつつ、「そこそこ起業」にとっていちばん大切なことは何かを改めて考えさせられました。

 連載第11回は2023年1/16(月)公開予定です。

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高橋勅徳

たかはし・みさのり
東京都立大学大学院経営学研究科准教授。
神戸大学大学院経営学研究科博士課程前期課程修了。2002年神戸大学大学院経営学研究科博士課程後期課程修了。博士(経営学)。
専攻は企業家研究、ソーシャル・イノベーション論。
2009年、第4回日本ベンチャー学会清成忠男賞本賞受賞。2019年、日本NPO学会 第17回日本NPO学会賞 優秀賞受賞。
自身の婚活体験を基にした著書『婚活戦略 商品化する男女と市場の力学』がSNSを中心に大きな話題となった。

Twitter @misanori0818

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