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長崎の母のもとから京都へ 第1回 朱墨写経の旅

 写経できます、と掲げる寺は京都中にあまたある。筆ペンやサインペンで書く気楽な写経や、写経用の半紙を購入し家で書いてお寺に送る仕組みまで。そんなさまざまなスタイルの写経寺を調べていて、せんにゅうの別院、うんりゅういんを見つけた。毛筆で、しかも朱墨で写経ができるという。  
 朱墨とは、文字通り朱色の墨のこと。小学生の頃に通っていた書道教室の先生が容赦なく赤入れしていたあれか?と思いながら調べてみると、朱墨とはなかなかに特別なもののよう。  
 朱色を生み出すのは赤色硫化第二水銀で、これとにかわを合わせて朱墨が作られる。しかし古くは、辰砂しんしゃとよばれる天然の鉱物が使われていた。希少で、お高いものだったらしい。朱墨はこの辰砂をたくさん使うため、かなりぜいたくなもので、明治以前は権力者だけが使っていたという。
 それで?なぜこの寺では朱墨で写経を?と、ここまでの予習で寝落ちしてしまった。
 翌朝は快晴。まだ残暑が厳しい中、ささやかな宿題をもって、いざ写経へ。

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泉涌寺、別院 雲龍院へ

 寺の場所は東山。東山と聞くと、清水寺辺りかと思いきや、もっと南、京都駅よりも南、九条と十条の間、鴨川の東側だった。東山とは盆地である京都の中心、つまり御所(今より少し南にあった前の御所)から見て東側にある山々を指すかなり広いエリアなのだな、と改めて。
 この東山の南北およそ12キロに横たわるようにある山々の総称を東山ひがしやま三十六峰さんじゅうろっぽうと呼ぶらしい。言われてみれば、すり鉢の縁のような連なりだ。泉涌寺があるのはこのうちのひとつ、月輪山がちりんさん(月輪大師が再興したことによる、泉山とも)。
 京都駅からJR奈良線に乗って、最寄りだという東福寺とうふくじ駅へ。最寄りと言っても、駅からも紅葉で知られる東福寺からも、かなり離れている。小さな商店街を抜けて、緩やかな坂、そしてまあまあ急な坂と、のぼり続けること20分強。汗だくになったころ、正面に立派な泉涌寺の門が見えてくる。  
 泉涌寺は、皇室ゆかりの寺。みずの天皇から孝明こうめい天皇まで、江戸時代の全ての天皇と皇后の御陵がここに造営されたそう。ちなみに、ここにある楊貴妃観音像を拝むと、美人になったり、良縁に恵まれたりするらしい。後日知ったのが、残念すぎる。
 本日の目的地、雲龍院はこの泉涌寺の山内寺院のひとつでここから少し奥にあった。写経は原則予約不要。団体客さえ入っていなければ急に訪ねても、重要文化財の本堂で写経をさせてもらえる、と私は朝電話をして知った。団体がいないとも限らないので、電話はかけてみたほうが賢明だ。
 本堂「龍華殿」には、ご本尊である薬師三尊(藥師・日光・月光)が安置されている。このご本尊を囲むように写経机が用意されていた。障子の向こうにはお庭を囲む縁。冷房はないものの風も入るし、扇風機もあり、25度超のこの日も暑さは感じなかった。
 畳に置かれたづくえの列を見て、正座か! と一瞬ひるんだが、その周りに椅子席も用意されていた。よかった、と迷わず椅子席に腰掛けると、係りの方が硯と筆を持ってきてくれる。 
 おおお、朱墨だ。そして、中学生以来持ったことのないリアル筆。書き上げた書に名入れをするときに使っていたような小さな筆だ。
 まず写経の前にお清めをする。はじめにちょうつまりクローブを一つ、口に含み、口から発するものを清める。次に、こうを手に塗り、身体を清める。清まった? いやどうかな?と心で自問自答。
 お寺の方に、なぜ朱墨なのか、聞いてみた。 「朱墨は、昔から大変高価なものでした。しかし、ここは天皇家の菩提寺なので、その高価な朱墨を使えたのです。それで650年以上前から朱墨で写経をしてもらっています」とのこと。なるほど。  
 そしていよいよ、写経のはじまり。「写経は修行のひとつです。ここで書いていただくのは般若心経です」と言われ、うっすらと完璧な字で下書きしてある半紙をもらう。日本で広く知られている玄奘げんじょう三蔵さんぞう訳のもので、正式な名は『般若はんにゃ波羅蜜多はらみった心経しんぎょう』だそうだ。
 玄奘三蔵と聞くともう「モンキー・マジック」が聞こえてきて、「西遊記」での故夏目雅子さんの麗しき三蔵法師の姿が目に浮かぶ。たしか玄奘三蔵は三蔵法師のモデル、というか、「西遊記」が、玄奘の西域旅を弟子がまとめた『大唐西域記』をモチーフにした奇譚だ。  
 達筆で書かれた『般若波羅蜜多心経』を上からなぞるように書いていくと、自分もものすごい達筆になった気がして気持ちいい。いや、勘違いだけど。
 それにしてもこのお経、色即是空しきそくぜくう、という言葉でも知られる、宗派を超えた日本で最も有名なお経ではなかろうか? 文字数わずか276文字。
 私の家は曹洞宗だが、祖母が毎日仏壇に向かい、これを唱えていた。あれは全文だったのか? ほんの一部だったのか? しかし私は、言うまでもなく普段は信心浅い日々を過ごしていて、このお経をきちんと読んだことがなかった。中身もよく知らない。

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雲龍院
雲龍院
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山脇りこ

料理研究家。東京都内で料理教室を主宰。長崎県の日本旅館に生まれ、四季折々の料理に触れながら育つ。旬の素材を生かした野菜料理や保存食が特に得意。食いしん坊の旅好きで、国内外の市場や生産者めぐりがライフワーク。特に台湾はガイドブックを刊行するほどのリピートぶり。著書に『50歳からのごきげんひとり旅』(大和書房)『50歳からはじめる、大人のレンジ料理』(NHK出版)『食べて笑って歩いて好きになる 大人のごほうび台湾』『いとしの自家製 手がおいしくするもの。』『一週間のつくりおき』(ぴあ)『台湾オニギリ』(主婦の友社)など多数。

http://www.instagram.com/yamawakiriko/

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