よみタイ

鈴木光司「海の怪」
地球の表面は70%が海。
しかし、その実態のほとんどがいまだヴェールに包まれている。
国内外の海を船で渡った男だからこそ知る、海の底知れぬ魅力と恐怖とは――
その出来事は、単なる気のせいか、この世のものならぬものからのメッセージか……。
『リング』をはじめとした一連の作品で、ホラー界に金字塔を打ち立てた鈴木光司。
見聞きした実話をもとに語る、海と水をめぐる畏怖と恐怖に彩られた読み切りエピソード。

船の墓場 日本編―針尾の瀬戸

海の怪 第16回

 「一に来島くるしま、二に鳴門なると、三と下って馬関ばかん瀬戸(関門海峡)」
 日本近海の海の難所は、昔からこのように言われている。三つとも海峡であり、潮の流れはときに10ノット(時速20キロ弱)を超える。
 関東から出港して、紀伊半島をぐるりと回って北九州を目指そうとした場合、瀬戸内海への入り口となるのが鳴門海峡だ。

 鳴門大橋の下をくぐったことはこれまでに数回ある。パワフルなディーゼルエンジンを積んだボートであったため、潮汐ちょうせきを気にすることなく、右に左に大渦を堪能しながら通過した。潮の流れが向かいの10ノットであっても、艇速が20ノット以上出る船なら、潮に逆らって10ノットで進むことができる勘定だ。
 鳴門海峡を通過中、渦潮うずしおの上をボートで通過したこともある。
 船が渦に巻き込まれるとどうなるか……、逆さまの竜巻につかまったかのように、ぐるぐる回りながら海中に吸い込まれていくシーンを想像する方も多いのではないか。
 動力を持たない小舟なら、一旦、渦につかまったら自力で抜け出すのは難しいだろうが、高馬力のパワーボートなら脱出は簡単だ。
 渦潮が作る円の直径を横断する場合、中心付近で船がズシンと落ちるような感覚を得る。海面にあいた底の浅い穴に、はまり込む感じとでもいえばいいのか……。フルスロットルをかければ、船はそのまままっすぐ穴から這い上がって、渦を通過することになる。
 渦潮をボートで通過する感覚は、他ではなかなか味わうことができない。

 高馬力のパワーボートなら潮流を気にせず鳴門海峡を越えられるが、馬力の低いヨットとなるとそうはいかない。
 機走(エンジンのみでの航行)での艇速が7、8ノットとなれば、10ノットの潮流に逆らうのは不可能であり、潮待ちの必要が生じる。
 ところが、待ち時間を節約したいという気短な人には抜け道がある。
 小鳴門こなると海峡だ。
 ドレーク海峡の抜け道であるマゼラン海峡のようなものである。
 鳴門海峡よりずっと狭いが、波も、急な流れもなく、穏やかで、家並みや学校、神社、商店街などを間近に覗きながら海を進むことができ、なんともいえない風情ふぜいを漂わせている。
 小鳴門海峡を出ればそこはもう瀬戸内海だ。外海と違って波はなく、のどかで、ほっと安心させてくれる風景が広がる。
 波がないとはいえ、瀬戸内海は、複雑に入り組んだ陸地と無数の島々によってあちこちに狭い海峡が形成されていて、油断のならない海域である。

 2006年の、長崎ハウステンボスに滞在してから九州を一周した航海では、小鳴門海峡を抜け、船舶交通量の多い来島海峡を避けて進んだ後、関門海峡を目指すことになった。
 軽い逆潮であったが、ヨットはエンジン全開で関門橋をくぐり、厳流島がんりゅうじまを右に見ながら通過し、竹ノ子島をかわして運河の奥深くに針路をとって油槽船ゆそうせんに横付けしてその夜は下関に停泊した。
 翌日は博多、翌々日は平戸に寄港し、ハウステンボスのある大村湾を目指した。
 早朝に平戸を出れば昼にはハウステンボスのマリーナに入港でき、ランチは陸の上で取れると踏んでいた。
 九十九島くじゅうくしまを左手に見ながら佐世保湾に入り、巣喰ノ浦すくいのうらに針路を向けたとき、時刻は午前十一時。大村湾に入れば、ハウステンボスはそのすぐ左手にある。佐世保湾と大村湾が、針尾の瀬戸と呼ばれる細い海峡でつながっていることからも明らかに、干満の差は相当に激しいと予測できたが、事前に潮汐表を調べてはなく、行き当たりばったりで進むほかなかった。
 鳴門海峡、関門海峡は海の難所として名が轟いているが、針尾の瀬戸のことは何も知らず、甘く見ていた。
 瀬戸に入って初めて、逆潮であることがわかった。ヨットのエンジンであっても凪いだ海なら機走のみ8ノットで走れる。フルスロットル近くまで回して、4、5ノットの艇速でどうにか走り、このまま大村湾に突入できると思ったが、西海橋の手前で完全に行き足を止められてしまった。
 フルスロットルにしても進まない。いや、進まないどころかバックする。川のように激しい流れは、あちこちに渦を作るほどだ。
 鳴門海峡や関門海峡は幅もあり、後ろに流されたとしてもそれほど危険はない。しかし、針尾の瀬戸は狭く(最狭部の幅約170メートル)、直角に湾曲している上、ところどころ岩が突出する中州がある。後方に流され、岩にでも激突すれば、船体が破損して沈没する恐れがある。

©kattyan/PIXTA
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鈴木光司

すずき・こうじ●1957年静岡県浜松市生まれ。作家、エッセイスト。90年『楽園』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞してデビュー。91年の『リング』が大きな話題を呼び、その続編である95年の『らせん』では吉川英治文学新人賞を受賞。『リング』は日本で映像化された後、ハリウッドでもリメイクされ世界的な支持を集める。2013年『エッジ』でアメリカの文学賞であるシャーリイ・ジャクスン賞(2012年度長編小説部門)を受賞。リングシリーズの『ループ』『エッジ』のほか、『仄暗い水の底から』『鋼鉄の叫び』『樹海』『ブルーアウト』など著書多数。

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