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鈴木光司「海の怪」
地球の表面は70%が海。
しかし、その実態のほとんどがいまだヴェールに包まれている。
国内外の海を船で渡った男だからこそ知る、海の底知れぬ魅力と恐怖とは――
『リング』をはじめとした一連の作品で、ホラー界に金字塔を打ち立てた鈴木光司。
見聞きした実話をもとに語る、海をめぐる畏怖と恐怖に彩られたエピソード。

海に沈むエレベーター

海の怪 第5回

 1990年に次女が生まれた頃の僕は、35平米1DKのマンションに家族4人で住んでいた。寝室として使用した部屋はたったの4畳。子どもがひとりのときは親子三人で川の字になって寝ていたが、ふたりになるとそれも難しくなった。
 そこで、娘たちを寝かしつけた後、斜向かいにある23平米の仕事部屋に移動して寝るようになった。

 子どもの頃から、一度寝たら朝までなかなか起きないタイプなのだが、夜にひとりで寝ていて、ふと目が覚めてしまうことがある。たとえば地震の前に、何となく目が覚めて、あ、これは地震が来るなと予知してしまうのだ。
 そして次の瞬間、世界が揺れ始める。これまでそのようなことが幾度もあった。
 その頃の僕は、小説の題材となる海のことばかり調べていたためか、夢の中でも海のシーンがよく出てくるようになっていた。
 そしてやはり、夜中に突然目が覚めたある夜。
 午前2時半を過ぎたくらいだっただろうか。目覚めると同時に、これから何が起こるかを察知した。
 ――ドアのチャイムが鳴らされる。
 すると次の瞬間、ピンポンピンポンと、2回チャイムが鳴った。
 鳴らし方が違うので、妻でないことはすぐにわかった。そもそもこんな時間に誰かが訪れてくるはずもない。
 おかしい。これは絶対におかしい――
 暗い部屋でひとり、いつになく皮膚が粟立つ。恐怖を感じ、チャイムの音は聞かなかったことと頭の中から追い払おうとしたが、やはり気になる。
 すっかり目が覚め、ベッドから起き上がって足音を立てないようにドアのそばへ近づき、ドアスコープの魚眼レンズを覗き込んだ。
 しかし目の前には、僕の部屋の真ん前にあるエレベーターのドアが見えるだけ……。
 それでも目を凝らしていると、エレベーターの階段表示が動いていることに気づいた。
 じっと見続けていると、エレベーターの階段表示の点灯が、最上階の4階から僕の部屋のある3階に移り、そこで止まった。
 誰かが下りてくるのか――
 しかしドアは開かない。そして、エレベーターは2階、1階へと下がっていき、また2階、3階、4階と行ったり来たりしている。
 まず思ったのは、この動きをエレベーターができるかどうかだ。4階のボタンが押されたから4階へ行くはずなのに、4階でドアが開閉する間もなく、また3階、2階へと下っていく。
 これはどういうことなのか。
 さらにしばらく見ていると、この動きがふいに止まって3階でぴたりと動かなくなった。怖かった。
 しかし、好奇心が恐怖心に勝り、ドアをそっと開けてみる。エレベーターホールと共有廊下の左右を、恐る恐る見渡してみる。
 誰もいない――。廊下は物音ひとつなく静まり返っている。
 収まりのつかない思いを抱えたままだったが、仕方なくその日は再び寝ることにした。

 そのマンションには住み込みの管理人がいたので、翌朝になって昨夜のエレベーターのおかしな動きについて尋ねてみると、
「あぁ、住人に変わった女性がいるからそのせいじゃないですか?」
 と言われた。
 いや、そうじゃない。どの階でも人の乗り降りがあったようには考えられない動きなのだ。
 エレベーターのあの動きを説明しても、管理人には「そんなことはあるはずない」と一蹴されてしまった。「寝ぼけていたんじゃないですか」と苦笑まじりに言われる始末だ。
 疑問は深まるばかりだった。

©Photo AC
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鈴木光司

すずき・こうじ●1957年静岡県浜松市生まれ。作家、エッセイスト。90年『楽園』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞してデビュー。91年の『リング』が大きな話題を呼び、その続編である95年の『らせん』では吉川英治文学新人賞を受賞。『リング』は日本で映像化された後、ハリウッドでもリメイクされ世界的な支持を集める。2013年『エッジ』でアメリカの文学賞であるシャーリイ・ジャクスン賞(2012年度長編小説部門)を受賞。リングシリーズの『ループ』『エッジ』のほか、『仄暗い水の底から』『鋼鉄の叫び』『樹海』『ブルーアウト』など著書多数。

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