よみタイ

鈴木光司「海の怪」
地球の表面は70%が海。
しかし、その実態のほとんどがいまだヴェールに包まれている。
国内外の海を船で渡った男だからこそ知る、海の底知れぬ魅力と恐怖とは――
『リング』をはじめとした一連の作品で、ホラー界に金字塔を打ち立てた鈴木光司。
見聞きした実話をもとに語る、海をめぐる畏怖と恐怖に彩られたエピソード。

黒い石の願い

海の怪 第6回

 今から15年ばかり前、某航空会社の機内誌の取材で、ハワイに行くことになった。
 その機内誌では、すでに何度もハワイを取り上げていたからか、僕が行くことになったのはオアフ島でもマウイ島でも、そしてハワイ島でもない、モロカイ島だった。日本人観光客がそれほど多くは訪れない島だ。
 僕もモロカイ島に行くのは、この時が初めてだった。街と呼べる街はカウナカカイという場所だけで、ホテルはこの街ぐらいにしかない。
 日中は、カメラマン、編集者、通訳兼現地コーディネーターとの四人で島を巡り、夜はホテルのバーで飲んだ。

 その店のバーテンダーから聞いた話だ。彼は、僕が作家の鈴木光司だとわかると、ちょっと不思議な話があるんだよと話し始めた。
 僕の拙い英語だと、すべての情報を正確につかめない。だからこの話は、通訳を介して聞いた話だと思ってほしい。

 僕がモロカイ島を訪れたときから、さらに一年前。アメリカ人の若いカップルが、このホテルに泊まりにきた。仮にウォルターとジョアンナとしておこう。
 彼らはサンフランシスコで結婚式を挙げて、ハネムーンでオアフ島にやってきた。その際、どうせならみんなが行かない島に行こうという話になって、モロカイ島まで足を延ばしたのだ。しばらくすると、ウォルターはホテルの人間とすっかり打ち解けて、プライベートな話もするようになった。

 ウォルターは優柔不断な優男で、一方、ジョアンナは率先して相手を引っ張るタイプだった。二人は長く交際していたものの、ウォルターは彼女との結婚を想像したことはなかった。もっと言えば望んでいなかった。しかし、結婚する気はあるのかないのかとジョアンナに激しく問い詰められ、流されるまま結婚してしまった節がある。
 案の定、ハネムーンに来てみたら、自分はのんびりしていたいのに、あちらこちらに引きずり回され、この結婚は失敗だったと薄々感じ始めていた。

 モロカイ島に来たのも、ジョアンナの提案だ。彼女の手に握られた雑誌には、モロカイ島の断崖絶壁が、“the highest sea cliff in the world(=世界で一番高い海食崖)”というキャッチコピーとともにグラビアを飾っていた。それは崖の上からでは見えない。海側からしか見えないのだ。
 ジョアンナはこれを海から見たいと言い出した。ウォルターは乗り気ではなかったが、まあそんなに行きたいならと、半ば引きずられるようにしてモロカイ島までやってきたのだ。

 世の中には、アルバイトをしながら船で世界を回っている人たちがいる。それぞれ現地のホテルに、船をチャーターしたい客を紹介してもらうのだ。ホテル側はマージンを取り、実際に客の需要もあるから一挙両得というわけだ。
 僕がニューカレドニアでヨットをチャーターしたときも、コンシェルジュに聞くとホテルのツアーデスクを紹介された。僕にヨットを貸してくれたのはフランス人のカップルで、50フィートほどのカタマランで世界中をぐるぐる回っていた。

 そのホテルにも、登録されているボートが何艘かあった。ジョアンナはホテルに話をして、動いてくれる船長とクルーを紹介してもらい、浮かない表情のウォルターとともに、翌日指定された場所へとレンタカーで向かった。
 待ち合わせ場所の小さな湾に到着すると、沖合にブイに係留された25フィートのボストンホエラーが浮かんでいる。これが目当てのボートのようだが、そこには桟橋がない。
 
 ボートには依頼を受けた船長とクルーの二人が立っていて、ウォルターとジョアンナの名前を呼んでいる。ジョアンナが手を振ってあいさつすると、二人がこっちに来いと手招きする。
 来いと言われても、ボートは海に浮かんでいるのだ。ウォルターはさらに不機嫌になった。
「なんだよ、桟橋がないから歩いてこいと言うのか?」
 水着を着てくるように書いてあったのは、これが理由か。手には昼食のサンドイッチを抱えている。
 
 ウォルターはボートまで歩いていくことに躊躇していたが、ジョアンナはまったく意に介さない。
「何してるの? 行くわよ! 来いって言ってるんだから、行けばいいだけじゃない」
 と、ウォルターを置いてジャバジャバと浅瀬を歩き始めた。
 仕方なくウォルターも愚痴をこぼしながら歩き始めたが、なんのことはない遠浅の海で、大して濡れることなくボートへとたどり着いた。

 仮に、船長はデュボア、クルーの女性はナキとしておく。ともにネイティブハワイアンで、褐色のなめらかな肌をしていた。
 二人はウォルターとジョアンナを「ようこそ」と歓待してくれた。お互いを紹介し合い、早速出発することになった。
 「さあ行くぜ! シークリフを見に行こう!」
 デュボアはブイのロープを慣れた手つきで取って、意気揚々と叫んだ。

 僕が世界中で船を借りてわかったことは、彼らクルーはチャータークルーズの途中で釣りをやることが多いということだ。観光客を乗せながら、「ちょっと待て」と、釣り道具を出してきてセットする。客を目当ての場所へと案内しながら、ついでに漁もやってしまうというわけだ。
 デュボアとナキもそうだった。
 しかも、この時は奇跡的に、シークリフに行く途中でキハダマグロがどんどん釣れた。
 デュボアは驚いた。
 これはすごい。こんなこと今までなかった。市場価格約500ドルの魚が不思議なくらい次々とかかる――
 そこにまた、釣竿の手元に手応えが走った。
 今度はさらなる大物だぞ――

 シークリフに着くと、ジョアンナは断崖絶壁を見て、歓喜の声を上げた。絶景を見ながら船上でランチを食べ、ひと通り満足したようだった。そして船は元来た道を走り始めた。
 すると今度は釣り針に大カマスがかかった。すべて市場に流せば、1500ドルくらいにはなるだろう。彼らにとって、1カ月分の収入だ。デュボアもナキも大喜びで、明らかに高揚していた。

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鈴木光司

すずき・こうじ●1957年静岡県浜松市生まれ。作家、エッセイスト。90年『楽園』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞してデビュー。91年の『リング』が大きな話題を呼び、その続編である95年の『らせん』では吉川英治文学新人賞を受賞。『リング』は日本で映像化された後、ハリウッドでもリメイクされ世界的な支持を集める。2013年『エッジ』でアメリカの文学賞であるシャーリイ・ジャクスン賞(2012年度長編小説部門)を受賞。リングシリーズの『ループ』『エッジ』のほか、『仄暗い水の底から』『鋼鉄の叫び』『樹海』『ブルーアウト』など著書多数。

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