2024.10.16
アラサー独身無職に成り果ててでも辞めたかった5年間の銀行員生活 第18話 退社までの日々
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入社から4年ほど経ったころだろうか、そんな気持ちが爆発したかのように半ばヤケクソで展示をやろうと決めた。よくわかんないけど絵とか展示しよう。ギャラリー代が安くないので絵が描ける友人を誘いたいが、こんな突然の提案は断られるかもしれない。自分でもこんなこと馬鹿げていると思う。今でこそSNSで誰でも動画を投稿する時代だが、この頃は何かを作って発表するということは珍しいことで、それは明確な表現欲があることをあらわし、特に素人の表現欲というものは自己顕示欲とか虚栄心とかと結びついたワガママで恥ずかしいものというイメージだった。だからこそ、私にとっては「恥ずかしい人間です」という表明も同然で、アーティストぶりたいだけ、真似事、勘違い女、でもそれでいいんだよもう!と怒り任せに動いている状態だった。そんなギリギリな心情とは裏腹に、友人たちは「楽しそう」と快諾してくれて拍子抜けしてしまった。みんなで熱心に試行錯誤を重ねて、制作過程も楽しくてまるで第二の青春、というか自分が10代では経験し得なかった青春を体験できた。
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ここから何かが始まる……そんな淡い期待も抱いていたが、当然ながらグループ展をやったからといって何も変わらない。変化があったと言えば、グループ展を思いつく少し前に引っ越しをして職場が遠くなったこと、主任になって異動があり勤務先が変わったこと、おかげで毎朝7時の電車に乗る羽目になったことだろうか。勤務先は以前と同じく板橋区内なのだが、小さな支店で駅から遠く、私の住む町から1時間以上かかる。もちろんそれを承知で引っ越したが、定時にはダッシュで帰らないと今までより帰宅が遅くなることが不満だった。
異動先は忙しくない支店だからか、課長もだらだら仕事しているし、そんな課長に支店長も優しすぎる。私は決して真面目な社員ではなかったはずだが、そんな私から見てもはっきりいって課長は仕事ができない。書類のチェックは後回しで溜まっていくし、簡単な保険の手続きも適当な理由をつけて私や他の社員に投げてくる。支店の保険ノルマが達成しないとルール違反の手を使うし、この支店は全体的に業務ルールが曖昧になっている。小さな支店ではよくあることと聞いていたが、もし私が新人時代にここに配属されていたらもっとダメ社員になっていただろう。課長に「梅子ちゃん、そんな急いでやらなくていいよ?」と朗らかに声をかけられるたび殺意を噛み殺していた。私は18時3分の電車に乗らないといけないのに。それ以降だと乗り継ぎがうまくいかず帰宅が19時半を過ぎるんだ。
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そんなことにイライラしながらも結局入社して5年が過ぎていた。5年の間に、同期の男性は結婚し、研修所で親しくなった仕事のできる友人はメンタルを崩して退職し、私は毎朝7時の電車に乗り、夏は汗だくになりながら、朝の開店準備でなぜかTBSラジオがかかる事務室で男性司会者の下ネタや駄洒落を聞かされている。それを毎日繰り返す。限界だ。なのに、それでもなお辞める勇気が湧かない。そんな中、1年下の後輩が退職するという噂を聞いた。一瞬“寿退社”の文字が浮かんだのは、最も角が立たない辞め方だからだ。人数が少ない職場だから辞めるのにものすごく気を使う。しかし後輩は寿退社ではないらしい。後でこっそり聞いたところ、転職先も決まっていないけどとにかく辞めるそうだ。つまりは辞めたかったのだろう。私だってそうだ、私だって、5年間そう思い続けて……。
後輩が辞めることがショックだったのか、睡眠不足が招いたのか、突発性難聴になった。幸いすぐに病院に行ったので1週間ほどで治ったのだが、私は天啓だと言わんばかりに喜んだ。突発性難聴ってあれでしょ? ストレスでなるやつでしょ? やっぱり私、仕事がストレスだったんだ! 自分では決断できないけど、体が拒否してるなら仕方ないよね! 長年追い続けた事件の証拠を掴んだ捜査官の気分で「これで、辞められる」と私は喜びに打ち震えた。突発性難聴のことは他の社員も知っているので、あとはもう「不調を抱えた人」という感じで退職届を出して、すまなそうな顔をしていればよかった。退職届を支店長に渡した時に「やっぱりねえ」と言われたので、辞めたそうな雰囲気は隠せていなかったのだろう。でも、もう辞めるのでどうでもいい。次の仕事も決まってないし、目星すらついていない無職のアラサーの独身。どん底のはずだが、とにかく辞めるんだ、辞めたんだ、ただそれが嬉しかった。
次回は11月20日(水)公開予定です。
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