よみタイ

アラサー独身無職に成り果ててでも辞めたかった5年間の銀行員生活 第18話 退社までの日々

それは、まだ別のどこかのことは知らない、遠い北の地での暮らしでした――

『まじめな会社員』で知られる漫画家・冬野梅子が、日照量の少ない半生を振り返り、地方と東京のリアルライフを綴るエッセイ。
【前回まで】:就職先の銀行で、あまりにもモチベーション低く働く冬野さん。そこでの日々にどんどん鬱憤がたまっていき……。

(文・イラスト/冬野梅子)

第18話 退社までの日々

 幸か不幸か、職場の人間関係が良く転職する勇気がないために3年が経過していた。その3年の間、入社初日から思っていた「辞めたい」という気持ちは、真空パックしたかのように毎日新鮮な憂鬱さを保ち続け、毎朝目覚めと共に、家にいるのに「帰りたい」と呟き、会社が爆破されるとか自分が死んでいたとか出社せずに済むアクシデントを夢見る毎日だった。一度、出勤する姿を親しい先輩に見られていて、私の表情のあまりの暗さに「毎日、あんな顔で出社してるんですか?」とたいそう驚かれたことがある。ついでに、お客様が見てるかもしれないんだからあの顔はマズイと思う、とも付け加えられた。たしかに出社は1日の中で最も辛く、自然と眉間にシワが寄り寝不足(といっても5時間以上は寝ているのだが)の吐き気をこらえながら俯いて歩いていたので自覚はあった。その頃救いだったのは友人の家が近かったことだろう。
 私は就職と同時に板橋付近に引っ越し、隣駅に住んでいた地元の友人とよく会っていた。友人は土日が忙しい仕事なので、平日週1、2回は飲みに行き、仕事の愚痴を言ったり友人の恋バナなんかを聞いて盛り上がった。時には、お惣菜と酎ハイを買ってどちらかの家に行き、DVDを観ながら深夜まで喋って、学生みたいで本当に楽しかった。

記事が続きます

 彼女とはよく合コンにも参加していた。彼氏にフラれた私は、自分がすぐに誰かと付き合えるタイプではないことを見越して、学生時代の友人に会えば合コンに誘ってと声をかけていたのだ。私の職場は女性ばかりだし、消極的な性格も手伝って何年も、あるいは一生彼氏なんかできないだろう。そう思い、義務のように月に1回はなんらかの飲み会に顔を出した。これは自分の性格の問題だが、初対面の人と話すのが苦手なので合コンが楽しかったことは一度もない。それでも、そうした飲みの席で自分が明るく振る舞えることで“コミュ力“が上がってる、何か成長しているという気分になれるのだ。
 毎日仕事で“窓口のお姉さん”としての人生を生きていると、若い時間をロストして停滞しているとしか思えなかった。職場の先輩たちに対してはそう思わないのに、この仕事に就いているほとんどの人が、穏やかでまろやかで、万人に嫌われない人に見える。裏を返せば、付和雷同を絵に描いたような意思のない集合体で、嫌われもしない代わりに個として認識もされない。自分もここに溶けていき、呆けたまま定年を迎えるか中年でクビになるような気がして怖かった。もちろん、どんな人も深く関わればいろんな面があるし、多くの大人は摩擦を避けるためあえて無害な人を演出しているので、職場で見るものが全てではない。しかし、20代の私が他者と差別化できる面といえば仕事しかなく、そうなると意思のない集合体が自分を構成する全てのような気がして嫌でたまらなかった。だから、少しでも個性的に……というのは制服がある手前難しいので、少しでも“窓口のお姉さん”っぽく見られないようにしたくて、マッシュルームカットにしたり、ギリギリまで髪色を明るくしたりパーマをかけた。お金もないのに。それから、とにかく読書をしようと決めた。なんとなく読書の習慣がある人に憧れていたことと、mixiやブログを始める人が多かった大学時代にまんまとその両方を始めていたので、知識をつけて難しい熟語を覚えてもっといい文章が書けるようになりたい、そして……心の片隅ではブログが“発見”される可能性も夢見ていた。ちなみに、Yahooブログに仕事の愚痴を羅列しただけの日記である。当時の鬱屈の煮凝りを今こそ読み返したいのだが、Yahooブログのサービス終了と共に消えてしまった。

記事が続きます

 社会人2~3年目はそうやって過ぎていったが、いつのまにか友人は仕事先で知り合った人と付き合い始め、別の友人も真剣に結婚相手を探し始めたので合コンに行く友人がいなくなってしまった。その頃は私も、時折合コンに行ってもぼんやり宙を見つめる時間が増え、向かいの席にいた男性に「おーい、聞いてる?」と呆れられたりする始末で、さすがに誘ってくれた友人に申し訳なくなった。思い返すと、大学生の頃は20歳までに処女を捨てたいという必死さがあったから誰でも好きになれたのだ。その後も同じようなもので、付き合った人数が少ないのは恥ずかしいという気持ちが原動力になって、同世代の、自分と似たような、目立たないけどダサくないように心がける、みたいな男性にときめくのは簡単だった。   
 けれど今は、もうそれどころではない。恋とかときめくとか、そんなものが絵空事のように感じる。自分が沼の藻みたいな色をしたペナペナの化学繊維を着た町の銀行のお姉さんで、これが人生の到達点で、この半生の結果で、一生抜け出せないだろうという不安に苛まれることに心のリソースを全部割いていた。時折こちらに興味を示す男性もいたが、自分でも嫌いな自分に好意がある時点で気が合わない、いわゆる「自分を会員にするクラブには入りたくない」状態だった。もとい、合コンという成果主義の場なので“他の友達が狙ってない”という枠でしか見られてないのだが、いずれにせよこんな精神状態で参加するのは意味がない。
 それに、新たな趣味にも夢中になっていたのでどうでもよかった。読書を心がけてすぐの頃、とあるファッション誌の連載を読んだのがきっかけで好きな作家ができたのだ。彼女の情報を得たいがために、少し躊躇ったもののTwitterに登録し、そこで初めてトークイベントという存在を知る。行ってみたい!けど、何が行われるのか、お客は何人ぐらいなのか、自分が行っても浮かないのか、そんなことを不安に思いチケットを取る勇気が出ず、こういう変なイベントに来てくれそうな友人に頼んでついてきてもらった。それが初めてのロフトプラスワンだった。帰り道、友人の言った「人がただ喋ってるだけなのに、こんなに面白いんだね」という言葉が今も忘れられない。二人とも妙な感動に包まれて呆然として帰った。

記事が続きます

 それからしばらくして、Twitterで知った女性二人組のユニットにハマりライブに通っていた。ライブは小さなクラブで行われることが多く、大学時代に新宿OTOに通った記憶が蘇り懐かしい気持ちになった。残念なことに、私はクラブ向きの人間ではない。音楽に身を任せて踊ることも、その辺にいる人と気軽にお喋りすることも一度もない。でも、普段着ていく場所のないスパンコールのついた服とか、なにも荷物の入らない小さなバッグとかを持って行けるのはこういう場所しかないし、そこに行くたびにライブをする彼女たちとお喋りできるのも嬉しかった。これは地下アイドルにハマる人と同じなのだろうか、名前も覚えてくれて、気にかけてもらえる。彼女たちにしてみれば単に演者としてのサービスの面もあるのだろうが、単純に仲良くなれると嬉しい。それにここでの私は“窓口のお姉さん”とは見られていない。そんな場所他にはない、大事にしたい。
 一度、彼女たちの深夜のライブが終わった後で、完全に酔っ払った一人に「どんな音楽聴くの?」と聞かれたことがある。これは自分を知ってもらって親近感を持ってもらう大事なチャンスだと思いながらも、とっさに「最近は……映画のサントラとか」としか答えられず大変に後悔した。これまでの合コンを思い返し、そこで通用するノリを鍛えた自分を恨んだ。経験上、合コンでは好きな音楽の話題というのは最も共通項がなく盛り下がる。Charaとかくるりとか言って様子を見て、変な空気になったら適当に濁して別の話題にする。本当に好きな何かを知ってもらうより、盛り下げないことを優先していた、けどこれって大事な場面では全然役に立たない。
 私って“いいファン”なんだろうか。彼女たちのイベントに定期的に顔を出すうちにそんな疑問が湧いてきた。ここに毎回来てウザくないだろうか。なにせ小規模なイベントなのでクラブ内の大半は出演者で、たいてい既に知り合いで、DJや音楽活動をしている人が集まる。SNSを見ていると、彼らはこうしたイベントで知り合って、そこにいた誰かのイベントに誘われて活動の場を広げているので、ある意味内輪の営業活動も兼ねているようだった。ブッキングする側、出演する側の邂逅の場である。そこにいるただのファンって必要? ということを不安に思っていた。実際、ブッキングされるには集客力が大事だと思うので、私のようなただのファンがいないと成立しないとは思うが、ただのファンの側はそんなポジティブには考えられない。ただのファンなのが悲しい。自分も何かをやってみたい気がする。今思えば、小規模なイベントに興味を持った時点でそんな気持ちがあったのかもしれないが、自分が客として行くライブは観客が数人なんてことはよくあった。来てくれる人が数人でも、1人でも最悪0人でも、別に何かやってもいいのでは? 小さなイベントに行くたびにそんな気持ちを強くしていった。

1 2

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Facebookアカウント
  • よみタイX公式アカウント
冬野梅子

漫画家。2019年『マッチングアプリで会った人だろ!』で 「清野とおるエッセイ漫画大賞」期待賞を受賞。その後『普通の人でいいのに!』(モーニング月例賞2020年5月期奨励賞受賞作)が公開されるやいなや、あまりにもリアルな自意識描写がTwitterを中心に話題となり、一大論争を巻き起こした。2022年7月に、派遣社員・菊池あみ子の生き地獄を描いた『まじめな会社員』(講談社)全4巻が完結。
最新刊は『スルーロマンス』(講談社)全5巻。

Twitter @umek3o

週間ランキング 今読まれているホットな記事

      広告を見ると続きを読むことができます。