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いつも鏡を見てる

「客がいないんだから、どうにもならない」タクシー運転手にとっての緊急事態宣言

時間単価に重きを置く

 アントニオ猪木が、ボクシングの世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリと日本武道館で闘った年、田中角栄元首相がロッキード事件で逮捕され、アメリカが参加をボイコットしたモントリオールオリンピックで日本が25のメダルを獲得し、ロバート・デ・ニーロの映画『タクシードライバー』が公開されている。西山伸一が、上に女3人の4人姉弟の末っ子として東京、中野区で生まれたのは、この1976年の6月のことだ。地元の工業高校を卒業してからは、アルバイトで稼ぎながら格闘技とボクシングにのめり込み、その特技を生かし、スポーツクラブのインストラクターとして働いた時期もある。正社員としての初めての就職は、まるで畑違いのウェブデザイナーだったが、座りっぱなしは性に合わず、すぐに退職した。ボクシングを続けながらのアルバイト生活に逆戻りし、次の職場はバイク便の自動車部門だった。都内を走りまわった。そして、34歳のとき、タクシー稼業に身を転じている。新人タクシー運転手にとっていちばんの厄介ごとは東京の地理不案内だが、バイク便の経験から、彼に、その心配はなかった。

 タクシー運転手の年収がおよそどれほどかはわかっていた。平均年収は低くても、運転手の収入は振れ幅が大きいのも、なんとなくわかっていた。要は〝平均〟じゃない。頑張れば稼げるはずだ。個人タクシーならなおさらで、年収1000万円もいけそうだ。そんな確信があってのタクシー稼業だった。

 バブル崩壊からこっち、低迷を続ける日本経済に追い打ちをかけたリーマンショックは「百年に一度の不況」をもたらし、2010年の東京のタクシーの日車営収を4万1000円台まで、5月にはそれを3万9000円まで落ち込ませていた。運転手の平均年収は、東京都の全産業男性動労者の平均年収より300万円も低く、ここ25年で最低だった前年をさらに下まわる348万円だった。省東自動車を辞めた59歳の豊田康則が北光自動車交通に移った年である。「運転手の高齢化に歯止めがかからない」と業界紙が書き、60歳以上が全運転手の48パーセント以上を占め、30歳代は、全体の六パーセントほどでしかなかった時期、東日本大震災が起こる1年前、日本交通グループに加盟したばかりの陸王交通株式会社に入社した西山は、タクシー運転手としてのキャリアを、この老舗タクシー会社でスタートさせている。自分の父親と同年代の運転手が圧倒的に多い職場だが、それを「先細りの業界」とは捉えず、「年をとってもやっていける仕事」と考えた。10年後の「個人タクシー」を見据えて飛び込んだタクシー稼業だったのである。

 東京のタクシーは月に12勤の隔勤が主流だが、西山は、いきなり、ナイトの運転手として働きだした。夕方から深夜、明け方近くまで、1時間の休憩を挟んで走りまわるナイト。稼ぎどきの時間帯だけを月に24勤するのだから、豊田康則がそうであるように、隔勤以上に売上げは伸びる。西山の稼業1年目の年収は700万円だった。タクシーで稼ぐのが難しかったあの時期、彼の年収は700万円を超え、2年目も同じだけ稼いだ。西山伸一は、特上の松だった。

 水揚げを伸ばすうえで営業回数や実車率を重視する運転手が多くいるなか、西山は、時間単価に重きを置く運転手のひとりである。1時間でどれだけ稼げるか、単価を上げるには効率が必要で、それを実現する働き場所は銀座だと考えた。ただし、夜の銀座には乗禁地区が定められていて、JR線の高架を境に、晴海通り、外堀通り、中央通りに囲まれた銀座5丁目から8丁目までのそこでは、決められた10か所のタクシー乗り場からしか客を乗せるのは許されない。タクシーセンター職員が常に監視の目を光らせている。乗禁違反は、その場で「指導」という名の摘発を受け、ペナルティは、運転手本人だけでなく所属のタクシー会社にまで及ぶ。効率重視の西山は、一発狙いの空車が殺到する指定のタクシー乗り場に付けることをしなかった。乗り場へと続く空車の大行列の一員になるより、乗禁地区の直近の外側を流した。目標は、一時間当たり6000円。夕方5時半に出庫して、体力にものを言わせて朝まで走った。

「センスに長けた特上の松は、努力も惜しまない運転手。だから年収800万円を達成できる。でも、僕は努力しなかった。体力とセンスだけで仕事をしていた。だから700万円どまりだった」

 銀座から客を乗せたら、どこに行っても、首都高でまっすぐ銀座に戻った。ロングの客を狙うのはマグロの一本釣りみたいなもの、だと彼は言う。ただ体力とセンスだけで、日車営収4万円の時期、月に100万円以上を水揚げしていたのだとも言った。その西山が、職場環境を変えてみたいと考えるようになったのは40歳になった頃である。6年続けた陸王での勤務が気分転換を求めたのかもしれない。ただ、新たな職場を探すにしても、どうしても外せない鉄則がある。「大手4社のどこかに属しているグループ会社」で「ナイト勤務」。この2点だけは外せない。夜の銀座では四社の看板の威光を少なからず実感していたし、効率良く稼ぐにはナイトであり続けなければならなかった。四社のうちのひとつ、大和交通グループに名を連ねる北光自動車交通の運転手で、陸王時代のかつての同僚に誘われた。2016年のことだ。外国人旅客接遇英語検定を受け、ENGLISH CERTIFIED DRIVERのステッカーを手に入れるのは、それから3年後、2019年の夏である。1年後に迫った東京オリンピック・パラリンピックでの訪日外国人客の増加を見据えていた。その一方で、特上の松だった彼の稼ぎは、北光に移ってからは並みの松で安定するようになり、年収は600万円を切るまでに落ちている。腕が鈍ったわけでも妻の稼ぎを当てにしたわけでもなく、ぐんと下がったのは〝10年後の個人タクシー〟が現実味を帯びてきたからだった。体力まかせに働いて、事故や交通違反で個人タクシーの免許を取得するための受験資格を失うリスクを負うのは御免だ。そう算段した。

(以下、次回に続く)

 全文無料公開「いつも鏡を見てる」次回は12/31(金)公開予定です。

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矢貫 隆

やぬき・たかし/ノンフィクション作家。1951年生まれ。龍谷大学経営学部卒業。
長距離トラック運転手、タクシードライバーなど多数の職業を経て、フリーライターに。
『救えたはずの生命─救命救急センターの10000時間』『通信簿はオール1』『自殺―生き残りの証言』『交通殺人』『クイールを育てた訓練士』『潜入ルポ 東京タクシー運転手』など著書多数。

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