2021.11.13
離婚して上京した57歳元農家が、タクシー運転手を目指したら……
「なんで東京にでてきちゃったんだろう」
上着の右ポケットに手を突っ込み、人さし指と中指で端に寄せた小銭をテーブルに並べた8枚の千円札の上に置いてみる。380円あった。きのうの出費は、航空運賃の2万5090円、リムジンバスの料金が1230円、それにホテル代。合わせると、最初の一日だけで4万1620円がすでに消えてしまった計算だ。このラウンジでの朝食料金が1944円だから、それを差し引いて残りは6436円で、封筒に入れたまま黒い小さなバッグの底に押し込んであるのが虎の子の45万円。これが全財産だが、57歳で人生をやり直すのに45万6千なにがしが十分な金額なのか、それとも、まるで心もとないのか、この期におよんで否やはなかった。何でもいいから、とにかく今日中にでも職を探さないと。そう思ったとたんドクンドクンは更に強まってドックンドックンとなり、求人欄を見なくちゃ、「新聞を」と、立ち上がろうとしたとき、ラウンジの女性スタッフが「朝食時間は10時半まででございます」と笑顔で告げにきた。このとき、もし彼が、わかりましたを伝える意味の頷きだけでなく、そのついでに「このホテルからいちばん近いハローワークは?」くらいの気の利いた質問でもしていたら、きっと「サンシャインシティの3階に」と彼女は応えてくれていただろう。
東京にでたらバスの運転手に、とは漠然と考えていた。自動車を運転する仕事には自信がある。大型免許だけでなく、路線バスや観光バスの運転手として働くのに必要な大型二種免許だって持っているし、実際、バスもタクシーも運転手として働いた経験がある。腰の持病を考えるとトラックに乗るのはもう無理だけれど、経験を言うなら長距離トラックの運転手だってやったことがある。
新聞の求人欄にJR中央線沿線で路線バスを運行している関東バスの運転手募集を見つけ、すぐに電話したが、自分の年齢を告げた時点で断られた。電話の向こうで話す男が「当たってみてはどうか」と教えてくれた貸切バス事業で有名な日の丸自動車にも連絡したが、結果は同じで、ネックになったのは、やはり57歳という年齢だった。そして、断りの言葉を口にした後で、電話の相手は、こう続けた。「うちの会社にはタクシー部門もありますから、そちらに応募してはどうでしょう」と。経験はたしかにあるけれど、しかし、西も東もわからない東京でタクシーの運転手になるなどとはさすがに考えてもいない。それでも、せっかくだから、と、教えられた先に電話をかけてはみたが、どうやらタクシー業界も事情は同じらしく、遠回しにではあったけれど「60歳を目前にした運転手はいらない」の趣旨を告げられている。彼が東京にでてきた年、都内でタクシー運転手になるために東京タクシーセンターで地理試験を受けた人の数はおよそ1万5000人。翌年は1万4000人台、次の年は1万3000人台、それが2010年から先、一気に6000人台に激減してしまい、この年を境にタクシー業界は慢性的な人手不足の状況に陥っていく。彼が職を求めたとき、タクシー運転手のなり手はまだいくらでもいて、新聞に求人広告をだす事業者にしてみれば、60歳を目前にした男をわざわざ雇わずとも易々と運転手を集められる状況にあったのである。そうとは知らず、たて続けに門前払いをくらってしまい、といっても3社に断られただけなのに、もう、すっかり気が萎えてしまい、傍から見たら口喧嘩に負けて尻尾をまいた雄猫のしょぼくれた姿のようだったろう。空になった皿とオレンジジュースを飲み干したグラスを下げにきたウェイターに、俯いたまま「ありがとう」と応え、3杯目のコーヒーには手を伸ばしもせず、テーブルの端に置いたショートホープの残りの本数を無意識のうちに数えだす。あと四本。これからトイレの横のスモーキングルームに駆け込むなら話は別だが、全席禁煙のカフェ・ダイニングにいる限り減ることはないタバコである。夕方までに買うとして、また金がでていく。ただそれだけのことで溜め息がでた。
「なんで東京にでてきちゃったんだろう」
この先、弱気の虫が顔をもたげるたびに、弱音だか本音だか自分でも区別がつかない、胸のうちに湧いてくる思い。「なんで……」。そして、そのすぐ後には、決まって「けれど」が突いてでる。
1985年の凶作
夏目雅子が亡くなり、週刊誌が「疑惑の銃弾」と報じた「ロス疑惑」の渦中の人物が殺人未遂容疑で逮捕された日だった。22年前(1985年)の9月、夏の盛りはとっくに過ぎていたが朝からぐんぐん上がった気温は最高34度を超え、麦わら帽子の下で吹きだす額の汗が目尻をかすめて流れ落ちていったあの日、昼過ぎに自宅に戻った彼の機嫌は上々だった。玄関を開けるや「あと1週間か、遅くても10日後だな」と妻に言い「今年も豊作だ」と続けている。この年の全国の水稲の作柄状況を、農水省は後に「秋の長雨や台風に見舞われなければ収穫量は前年並みが予想され、2年連続の大豊作になる見通し」と発表するのだが、合わせて二町七反(2.7ヘクタール・約7000坪)の棚田に作付けした彼の稲にしても見通しは同様だった。早朝から棚田を見てまわり、稲刈りに最高のタイミングまで「あと1週間か、遅くとも10日」で、稲の実り具合は、「今年も大豊作」を約束してくれていた。シャワーを浴びて汗を流し、棚田の様子を妻に上機嫌で話しながらテレビを点けると、ワイドショーが、女優、夏目雅子の訃報を伝えていた。27歳の彼女を死に追いやった骨髄性白血病について、ゲスト出演している専門医が解説している。「人口10万人当たり6.3人の割合で発生する難病」。そう教えられたところで、病気といえば風邪か腹痛くらいしか浮かばない彼には途方もなく無縁な話に聞こえていた。「よりにもよって、どうしてそんな難しい病気に」と、率直な思いが声になってでた。画面が、かつて彼女が主演した映画『鬼龍院花子の生涯』のワンシーンの写真を映しだす。「美人薄命っていうけど」と、夏目雅子の突然の死を知って、おそらく誰もが口にした、あるいは思った言葉を、彼も、テレビに向かって呟いていた。彼が、丹精込めて育てた自慢の稲の全滅を目にするのは、それから6日後のことである。
『日本農業新聞』の九州版(1985年9月28日付)が、「収穫前にウンカ発生」の見出しを付け、この地方の稲の被害状況を書いている。
「『今年も大豊作』と期待していた宇佐市農協管内にウンカが異常発生している。管内の水田は〝ホゲ田〟が点々とみられ、収穫期を目前にした稲作農家に大きな被害を与えている」
こう始まる同紙の記事は、長雨、寡照、(ウンカに適温の)気温が、この地方では過去に例がないほどウンカを大発生させ、被害の大きいところでは水田の過半数がホゲて、収穫は平年作どころか半作にも達しない農家もでてきたと伝えた。全国にある4万社を超える八幡宮の総本宮、宇佐神宮で知られる宇佐は峰田からは目と鼻の先だが、ウンカの被害は峰田の方が大きかったようで、その日、彼が目にしたのは、きのうまでのみずみずしさに輝いていた稲とはまるで別物だった。言葉がでなかった。ウンカに襲われた彼の二町七反の水田の稲は、すべて生きた色をなくし、彼は、その状況を前にただ呆然と立ち尽くしていた。