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いつも鏡を見てる

オイルショックについて教えてくれた元商社マンのタクシー運転手

タクシードライバーの職務経験を持つノンフィクション作家・矢貫隆さんが、ご自身ふくめて様々な背景を持つ多くのタクシードライバーたちの人生を徹底取材して描いた、ドラマティック・ノンフィクション『いつも鏡を見てる』
日経新聞などの書評欄でも紹介された、昭和・平成・令和を貫くタクシードライバーたちの物語を、期間限定で全文無料公開します!(不定期連載)

前回に続き、舞台は「1970年代の京都」です。新米タクシー運転手の「俺」は、オイルショックで時代の大きな変化を感じます。
同時に、バーで働く「みやびさん」という気になる女性との関係も進展し……。

いつも鏡を見てる 第3話

京都南インターの南 1973年10月6日~11月24日

 少しばかりの燃料を入れてもらうのに20分以上も長い列に並ぶのはここのところ出番のたびになっていて、そこで順番を待つと、決まって、相勤の村井さんが言った言葉が頭に浮かんでくる。

「親会社がケチやしな、しゃあない」

 夜明け前の洗車にも慣れ、要領をつかんでからはまるで苦にならなくなったが、いまだに不思議に思うのは、どんなに大雨が降っていようとも洗車を欠かしてはならないタクシー業界にある鉄の掟である。車内の掃除はまだ理解できるにしても──客を2~3回も乗せれば汚れた靴や濡れた傘のせいでフロアマットは散々な姿になってしまうが──何とも不合理なのは、雨で汚れたボディを水洗いし、しかもご丁寧に、ぎゅっと絞った雑巾での拭き取りだ。毎回の洗車が、この車両に交代で乗務する相勤への礼儀であるのはわかるけれど、屋根の下をでたとたん大雨に晒されるのだから、はたから見たらおかしな光景であるのは間違いない。

 村井誠一さんが姿を見せたのは、日付が変わった頃から降りだした小雨が明け方近くになって本降りになった日の早朝、例によって雨降りのなかでの水洗いを済ませ、あとちょっとで雑巾での拭き取りも終わるというときだった。

「いつもより2時間も早う目が覚めてな、もう寝られへんし早出してきたんや」

 会社まで歩いて5分とかからない距離にあるアパートで独り暮らしの、歳の頃は40を少し超えたくらいの村井さん。初めて会って互いに自己紹介したときの話によると彼のタクシー歴は6年で、うちの会社に入ったのは「5年前だった」そうだ。10人も入ればいっぱいになってしまう小料理屋をやっている女の人とは、ありがちだけどタクシーの運転手と客として初めて会って、それ以来の仲だというのはずっと後になって聞いた話である。村井さんには結婚歴があって、奥さんとは「ずいぶん前に別れた」とぼそっと口にしたことはあったが、昔の自分のことを喋るのはあまり好きじゃないらしい。そうとは知らず、タクシー稼業に入る前は何をしていたのか、と、いちどだけ尋ねたことがある。そのときの、苦笑いしながら言葉を濁した村井さんの様子を見て以来、よけいなことは聞かないようにしている。ただ、会話の端々にときおりのぞく彼の過去をつなぎ合わせてみると、関西にあるどこかの公立大学を卒業し、しばらくは東京に本社がある商社に勤務していたとだけは推測がついた。とにかく博識で、外国人の観光客を相手に清水寺や金閣寺をガイドすることもあると言っていたから、きっと英語も堪能なのだろう。

 その村井誠一さんが、いつもどおり缶ピーを片手に、いつもどおりの、設計事務所の社員みたいな灰色の作業用ジャンパー姿で現れ(タクシーを運転するときの、これがこの人の格好だ)、早口で「早出のわけ」をまくし立てた。それから「久しぶりやな」と挨拶をしてショートピースに火をつけた。

「聞いたで。危なかったらしいやないか。大丈夫やったんか」

 小山での一件を言っているのだとすぐにわかった。

「乗り逃げされたけど、それで済んだからよかったですよ。手口が巧妙だったから常習者じゃないですかね。道に詳しかったし、あいつ、たぶん同業者だと思う」

「そうか……。三条大橋から乗ったんやろ、そしたら山科の人間かもしれんな。悪い運転手もおるし、気ぃつけなあかんで」

 村井さんと顔を合わせるのは久しぶりだった。俺らは畑野たちのように夜勤専門と昼勤専門が組んでいるわけではない。前の週は俺が昼勤で村井さんが夜勤、一週間ごとに昼勤・夜勤が交代する複勤だから、ちょうど一週間ぶりくらいだろうか。俺が昼勤を終えて帰る時間に彼はまだ会社にきていないことが多いし、俺は早起きが苦手で、村井さんが夜勤を終える時間には会社にきていない。そんなすれ違いがしばしばだから、俺らふたりに限ったことではなく、相勤とは、案外と顔を合わせる機会は少ないかもしれない。

 村井さんは、3日前の、俺の身に降りかかった深夜の出来事をひととおり聞くと、実は、こっちの話が本題なんやとばかり「トイレットペーパー騒ぎ、東京でも大変らしいやないか」とゆうべのニュースを切りだしてから、相勤のために満タンに入れておくはずの燃料が、半分も入れてもらえなくなってしまっている近ごろのLPG事情について喋りだした。いかに博識で、そして、5年もうちの会社にいるとはいえ、村井さんが会社の内部事情のすべてを熟知しているとはとうてい思えないのだが、それでも彼は、会社のことなら何でも聞いてや、みたいな事情通の口ぶりで、運転手たちが燃料問題で難儀しているわけを話すのである。

「うちの会社は払いが悪い。親会社がケチやしな」

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矢貫 隆

やぬき・たかし/ノンフィクション作家。1951年生まれ。龍谷大学経営学部卒業。
長距離トラック運転手、タクシードライバーなど多数の職業を経て、フリーライターに。
『救えたはずの生命─救命救急センターの10000時間』『通信簿はオール1』『自殺―生き残りの証言』『交通殺人』『クイールを育てた訓練士』『潜入ルポ 東京タクシー運転手』など著書多数。

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