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気になる女性が男と自分のタクシーに乗りホテル街へ向かう──新米タクシー運転手の苦い体験

【注釈】

*1 長州藩の大敗で終わった蛤御門の変(1864年・元治元年)の後、町の人々の間では長州藩士がまた焼き討ちなどをするかもしれないといった類の噂が囁かれ、それを見過ごさなかった京都の町奉行所は、二十数か所の制札場に長州藩の罪状などを掲示した。「禁門(筆者註・御所の門=禁門)に発砲し逆罪明白につき」の一節を含むその制札は、蛤御門の変からあしかけ3年、失敗に終わった第二次長州征伐(1866年・慶応2年)の後も─幕府の威信を保ち「朝敵は長州」を示す意味があってか─撤去されることはなかった。そして第二次長州征伐から二か月ほどが経った頃、三条大橋西詰の制札場でそれは起こった。「禁門に発砲し云々」を記した制札が何者かによって真っ黒に塗りつぶされ鴨の河原に打ち捨てられた。すぐに新調してもまた捨てられ、都合三度も続いたものだから新撰組が警備についた。張り込みから12日目の夜に事件は起こる。血気にはやる8人の男(後に土佐藩士とわかる)が現れ、制札を引き抜こうとしたところで新撰組と切り合いになり多くの死傷者がでた。

*2 京都市内のタクシー料金は車種によって大型、中型、小型に分かれている。もっとも一般的な小型タクシーは、それまで2キロまでの基本料金120円だったものが、1972年に基本料金が150円となり、爾後料金は525メートルごとに30円、貸し切り料金は1時間ごとに1000円に改定された。

*3 1965年、当時35歳の山村彩香は秋田治(当時25歳)が運転するタクシーに乗り合わせたのをきっかけに知り合う。預金伝票を偽造した山村が、6年間、1300回にわたって横領した金は9億円におよんだ(ともに仮名)。

*4 就職して6か月を過ぎると失業保険の受給資格が得られ、退職しても1か月以内に再就職が決まった場合には就職支度金を受け取ることができた就職支度金制度。金額はそれまでの勤務実績によって違いはあるものの、当時の京都新聞の記事によると、タクシー運転手への支度金の平均支給額は15万4200円。これに1か月分の失業保険金の約5万7000円を加えると手にするのは約20万円。1年間で2回は就職支度金を目当てにタクシー会社を変われるから合わせて40万円超になる。失業保健法の不備を利用し6か月ごとに就職支度金を受け取るタクシー運転手が全国的に増えたのを受け、労働省(当時)は失保法の施行規則等を改正。「2年以内に同一業種に再就職した場合は支給しない」とした。

*5 山科は1976年に東山区から分区して山科区に。

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矢貫 隆

やぬき・たかし/ノンフィクション作家。1951年生まれ。龍谷大学経営学部卒業。
長距離トラック運転手、タクシードライバーなど多数の職業を経て、フリーライターに。
『救えたはずの生命─救命救急センターの10000時間』『通信簿はオール1』『自殺―生き残りの証言』『交通殺人』『クイールを育てた訓練士』『潜入ルポ 東京タクシー運転手』など著書多数。

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