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スズキナオ「この世の隅っこの「むう」な話」
ふとした会話が、表情が、何気ない何かがずっと頭に残って離れない……そこで湧き上がる気持ちをスズキナオさんはこう表現することにした。「むう」と。この世の片隅で生まれる、驚愕とも感動とも感銘ともまったく縁遠い「むう」な話たち。

さて、何気なく耳にした誰かの発言の真意がわからないまま、ずーっと頭の片隅に残っていて、折にふれ思い出しては不思議な気持ちになることってありませんか?

あの発言の本当の意味は何だったのだろう…いつまでも脳内から消えないあの人の不思議な言葉

スーパー銭湯の炭酸風呂で耳にした「うまいな……」

妙に引っかかって忘れられないひと言というものがある。

そういう言葉は、いつどんな時に私たちの前に現れるかわからない。恩師が自分の将来を思いやって発してくれた言葉とか、悩んでいる時に友達からもらった励ましの言葉とか、必ずしもそういうものばかりが胸に残るとは限らない。空からいきなり隕石が降ってくるかのように、思いもよらないタイミングでそのような言葉と出会うこともある。

友人がスーパー銭湯に行った時のことである。敷地が広く、浴場内には露天風呂、電気風呂、ジェットバス、漢方薬の成分が入っているという薬湯、横になって入れる寝湯など、色々と工夫を凝らしたお風呂が用意されている。

そんな中でも炭酸風呂は特に人気らしく、多くの人がそこに身を浸している。友人がそこに入ってみると、湯温があえて低めに設定してあり、いくらでも浸かっていられるようになっている。ふと自分の肌を見てみると、表面に細かな炭酸の泡が無数に浮かび、見た目にも体にいい効用をもたらしてくれそうに思えた。

長湯する人が多いからだろう、炭酸風呂の壁の一部にはテレビモニターが埋め込んであり、入浴しながら見ることができるようになっている。リラックスタイムを邪魔せぬようにという配慮からか消音モードになっていて、そのかわり、画面の下部に日本語の字幕が表示される。お湯に浸かっている人たちはみんなその画面を見つめていて、友人の視線も自然とそこへ向いた。

炭酸風呂に浸かりながら、老人の脳内には「栄光の架橋」が流れていたのだろうか
炭酸風呂に浸かりながら、老人の脳内には「栄光の架橋」が流れていたのだろうか

画面に映し出されているのは一般の人が歌唱力を競い合う歌番組で、幅広い年代の参加者が自分の好きな歌を選曲して歌うらしい。画面に登場した年配の男性が、ゆずの「栄光の架橋」を選んで歌っている。アテネ五輪のテーマソングにもなり、友人も何度も耳にしたことがあったその曲の歌詞が、無音のテレビ画面に表示される。

表示される歌詞がサビにさしかかったあたりだった。

友人に近い場所でお湯につかっていた老人が、画面を見つめながら「うまいな……」とつぶやいた。
しみじみとした風に発せられた言葉に周りの誰も反応することはなく、湯舟の中には引き続き静かな時間が流れていた。友人はしばらくして浴場を出てタオルで体を拭きながら、さっきの言葉を思い返し、いよいよ不思議になった。
「……うまいってどういうことよ!?」と。
聴こえなかったはずの歌声が、老人にだけは届いていたのだろうか。その答えを知ることはもうできないが、友人は今でもたまにその場面を思い出すという。

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スズキナオ

1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。
WEBサイト『デイリーポータルZ』『メシ通』などを中心に執筆中。テクノバンド「チミドロ」のメンバーで、大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。
著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、パリッコとの共著に『酒の穴』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ"お酒』など。
Twitter●@chimidoro

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