2020.12.1
高級旅館の支配人と「ゴ」のつく漆黒の虫とブラトップの華麗なる戦い
趣あふれる客室内に出没した黒光する小さな影
「ぎゃ!」と友人が叫び、「なになに!」ともう一人の友人。
黒い影は床の間の方へ移動していき、やはり何度確かめても「ゴ」のつくあの虫のようである。
頻繁に換気をする必要があるご時勢ゆえ、開けた窓の隙間からでも入り込んだのだろうか。フロントは23時に閉まると事前に説明を受けていたため、そこに頼ることはできない。何か武器はないかとあたりを見渡したが、使えそうなものが何もない。
黒い影は怯える二人をあざ笑うかのように床の間からこちらに向かってこようとする。そのたびに壁を叩いたり足音を立てたりして威嚇し、なんとか追い払う。そんな必死の攻防が30分ほど続いたという。
「これではこっちの体力がもたない……」と、藁にもすがる思いでフロントに電話をかけてみることにした。というか、その電話の受話器の近くに黒い影が潜んでおり、受話器を取るだけでも相当な勇気が必要だったらしい。
ダメでもともとと思ってかけた電話は無事フロントにつながった。
「あの、部屋に虫が出まして……。戦おうとしたのですが武器がなくて……」と話すと、相手は「すぐに行きます!」と答えてくれた。
虫の動きを注視しながら待っていると、肌着姿の男性が部屋に現れた。数時間前、ビシッとしたジャケット姿で出迎えてくれた支配人である。仕事を終え、ゆっくり休もうとしていたところだったのだろう。
申し訳ないと思いつつも、ここはこの人に頼るしかない。
支配人は片手にスプレー、片手にティッシュを持って現れた。
「この隅に隠れていて……」と友人が床の間を指差すとそちらに向かって歩き、スプレーをシュッとひと吹きする。しかし、そのスプレーの噴射時間がとても短い。「プシュー!」ではなく「シュッ」という感じである。
「今思うと部屋の中であまり殺虫剤を使ったら悪いと思って気を遣ってたんだろうね。でも、ちょっとしか噴射しないから全然効かないんだよね」と友人はその場面を回想する。
黒い影はその勢いをまったく失うことなく床の間から走り出し、追いかけるようにまた支配人が「シュッ」とひと吹きするもまったく効果なし。床を走り回り、ついに友人が脱ぎ散らかしていた下着の中にそのまま入り込んだ。
「よりによって下着の中に入っていって……。下着っていっても色気のないようなブラトップだったからまだよかったんだけど、でも、ひと目で下着ってわかるような感じではあったから支配人の動きがピタッと止まったの」と友人は語る。
その場の空気が凍ったようになったそうである。