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病気になりやすい遺伝子が維持されてしまう仕組み──進化精神医学とは何か?

疾患遺伝子が有利となる?

一般に、ある遺伝子が個体の生存や繁殖に有利であるかどうかは、状況や環境に依存します。ある状況において生存に不利な遺伝子が別の状況においては逆に有利になることもあり得ます。このことは、病気の原因となる遺伝子(疾患遺伝子)についても当てはまります。ある疾患遺伝子を持つことが、特定の状況においてはむしろ生存に有利となり、そのおかげで、疾患遺伝子が消失することなく集団中に存在し続けるという場合があり得るわけです。こうした疾患の例として、鎌状赤血球症が有名です。その名の通り、赤血球が鎌状に変形します。高校生物の教科書でも取り上げられているので、聞いたことのあるかたもいるでしょう。鎌状赤血球症は遺伝子の変異によって赤血球が正常に機能しなくなる遺伝性の疾患です。鎌状赤血球症遺伝子を2個持つ個体(ホモ接合体:注4)は重い貧血や多臓器障害を発症します。

しかし、鎌状赤血球症遺伝子にはあるメリットがあることが分かっています。マラリアにかかりにくくなるのです。マラリアはマラリア原虫をもった蚊に刺されることで感染し、マラリア原虫は血液中の赤血球内で増殖します。鎌状赤血球症のひとは、マラリア原虫に侵入された赤血球が壊れることで、体内でのマラリア原虫の増殖を抑制することができ、マラリアが発症しにくい、あるいは発症しても治りやすくなります。鎌状赤血球症遺伝子を持つことで鎌状赤血球症になるリスクは高くなるものの、マラリアになるリスクは低くなるというわけです。

鎌状赤血球遺伝子を持つひとは、マラリア蔓延地域であるアフリカに多くいることが分かっています。マラリアは特に幼児にとっては死亡率の高い感染症であり、マラリアが蔓延する状況では鎌状赤血球症遺伝子を持つひとは持たない人よりも生存に有利となるでしょう。鎌状赤血球症遺伝子の場合、鎌状赤血球になるリスクという点では有害であり、自然選択の働きによって頻度の減少が予想されますが、マラリアに対する耐性という点では逆に有利となり、頻度の増加が予想されます。このように、ある遺伝子に対して、増加させる自然選択と減少させる自然選択の両方が働くことによって、頻度の増減のバランスが保たれる現象を平衡選択(balance selection)と呼びます。アフリカでは平衡選択が働くことで、鎌状赤血球症遺伝子がヒトの集団中に維持される結果になっていると考えられます。

有害と思われる遺伝子が集団中から消失せずに存在し続けている場合、鎌状赤血球症遺伝子のように、実は状況によっては、その遺伝子を持つことが個体にとって有利となっている可能性があります。病気の原因となる遺伝子と聞くと絶対的に有害なものと考えたくなりますが、生存に有利となる状況があるかもしれないという視点を持つことは有効です。

一つの遺伝子が複数の性質に関連

一つの遺伝子が一つの性質だけではなく、二つ以上の性質に同時に関連することがあります。このような現象は多面発現と呼ばれ、多面発現遺伝子は多くあると考えられています。精神疾患関連遺伝子と見なされている遺伝子が実は多面発現遺伝子で、精神疾患とは別の性質にも同時に関連しているという状況があり得ます。そうした場合、精神疾患とは別の性質に働いた自然選択の二次的影響として、精神疾患関連遺伝子が集団中で増加したり減少したりする可能性があります。

前述の鎌状赤血球症遺伝子の働きは多面発現とは別です。鎌状赤血球症遺伝子の場合、赤血球が特別になるという一つの性質が、貧血症という病気とマラリアに対する耐性という二つの別々の結果を生み出しています。これに対して、多面発現遺伝子は関連する性質がそもそも一つではなく二つ以上であり、この点で鎌状赤血球症遺伝子とは異なっています。

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精神疾患関連遺伝子が維持される仕組み

精神疾患関連遺伝子についても、鎌状赤血球症遺伝子のように、何らかの有利性があるために集団中に維持されている可能性が考えられます。また、精神疾患関連遺伝子が多面発現遺伝子であり、精神疾患とは別の性質に働いた自然選択の二次的影響として、集団中に維持される結果になっているのかもしれません。精神疾患のなかでも特に統合失調症については、こうした観点からの研究が盛んに行われています。以下、代表的な研究例を紹介します。

統合失調症関連遺伝子をもつことには、創造性の向上、数学的推論能力の向上、ウイルス感染リスクの減少などにおいて利点があるという可能性が、いくつかの研究で示されています(注5)。鎌状赤血球症遺伝子と同様に、平衡選択が働くことで統合失調症関連遺伝子が集団中に維持されているという仮説を支持する研究です。

多面発現の観点に基づく仮説も提示されています。統合失調症関連遺伝子が集団中に少なからず存在するのは、ヒトの進化の過程で認知特性に働いた正の自然選択の二次的影響であるという仮説です(正の自然選択とは、ある遺伝子に対して集団中の頻度を増加させるように働く自然選択のこと)。いわば、進化の副産物として、ヒトは統合失調症になりやすくなったというわけです。この仮説を支持する研究も報告されています(注6)。この研究では、ヒトを含む霊長類の系統を対象として、進化過程において統合失調症関連遺伝子に働いた自然選択の検出を試みています。現在では、進化の過程で特定の遺伝子に自然選択が働いたことを遺伝子データに基づいて検出することが可能です。分析の結果、統合失調症と特に関連の深い遺伝子(NRG1遺伝子、DISC1遺伝子など)がヒトの進化の過程で正の自然選択を受けていることが示されました。このことは、統合失調症がヒトの適応進化に伴う副産物であることを示唆するものです。

統合失調症になりやすいという性質それ自体は生存や繁殖に不利かもしれません。しかし、ある統合失調症関連遺伝子が多面発現として別の何らかの認知能力と関連しており、かつ、それらの認知能力が生存や繁殖に有利である場合には、統合失調症関連遺伝子が自然選択の働きにより集団中で頻度を増やすというシナリオが考えられます。こうした認知能力としては、例えば、創造性などが候補となるでしょう(注7)。統合失調症関連遺伝子が同時に創造性関連遺伝子でもあるという多面発現の状態である場合、創造性が生存や繁殖に有利な状況においては、その遺伝子は増加する可能性があります。

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小松正

こまつ・ただし
1967年北海道生まれ。北海道大学大学院農学研究科農業生物学専攻博士後期課程修了。博士(農学)。日本学術振興会特別研究員、言語交流研究所主任研究員を経て、2004 年に小松研究事務所を開設。大学や企業等と個人契約を結んで研究に従事する独立系研究者(個人事業主) として活動。専門は生態学、進化生物学、データサイエンス。
著書に『いじめは生存戦略だった!? ~進化生物学で読み解く生き物たちの不可解な行動の原理』『情報社会のソーシャルデザイン 情報社会学概論II』『社会はヒトの感情で進化する』などがある。

Twitter @Tadashi_Komatsu

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