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病気になりやすい遺伝子が維持されてしまう仕組み──進化精神医学とは何か?

人間は長い年月をかけて進化してきました。身体だけではなく、私たちの〈心〉も進化の産物です。
ではなぜ人間の心のネガティブな性質は、進化の過程で淘汰されることなく、今現在も私たちを苦しめるのでしょうか?
進化生物学研究者の小松正さんが、進化心理学の観点から〈心〉のダークサイドを考えていきます。

前回は、「児童虐待」について進化心理学的に考えました。
今回は「進化精神医学」という、新しい心の医学の試みを紹介していきます。
イラスト/浅川りか
イラスト/浅川りか

遺伝子研究が本格化している

新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより精神疾患が世界的に増加したという調査結果が報道され(注1)、メンタルヘルスの問題について改めて関心が向けられています。このコラムでも、サイコパスや薬物依存症など、精神疾患に関連したテーマをいくつか取り上げてきました。精神疾患の研究に進化の観点を導入したものは、進化精神医学あるいは進化精神病理学と呼ばれています。進化精神医学では、精神に関する症状がなぜそのような状態にあるのかという観点から仮説を構築し、データに基づいた検証が行われます。

近年は特に、生物学や医学の多くの領域で遺伝子解析の技術を活用した研究が隆盛を極めています。この傾向は進化精神医学にも当てはまります。例えば、精神疾患に関連する遺伝子について、その進化過程における自然選択の検出が可能となり、注目を集めています。生活史理論に基づいた個人差の研究も増えています。今回はそうした精神疾患研究のいくつかについて、それらの背景を含めて解説します。

精神疾患関連遺伝子と進化的なパラドクス

精神疾患には遺伝子が関係していることが判明しています(注2)。しかしながら、考えてみますと、病気になる可能性を高める遺伝子が存在し続けるというのは不思議な話です。病気になった個体は一般的には生存や繁殖が難しくなり、子孫を残せる確率は減りそうです。精神疾患関連遺伝子のように、病気になる可能性を高める遺伝子は、たとえ突然変異によって生じたとしても、自然選択の働きによって集団中の頻度を減らし、進化の過程で消失してしまうように思われます。

しかし、実際には精神疾患になる人は少なくありません。約5人に1人が一生涯の間に何らかの精神疾患を発症するという調査結果もあります(注3)。こうした事実から、精神疾患関連遺伝子は少なくない頻度でヒトの集団中に存在していると考えられます。このように、子孫を残すうえでマイナスになると思われる精神疾患関連遺伝子が消失せずに集団中に存在していることは「進化的なパラドックス」と見なされ、研究者の注目を集めてきました。

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小松正

こまつ・ただし
1967年北海道生まれ。北海道大学大学院農学研究科農業生物学専攻博士後期課程修了。博士(農学)。日本学術振興会特別研究員、言語交流研究所主任研究員を経て、2004 年に小松研究事務所を開設。大学や企業等と個人契約を結んで研究に従事する独立系研究者(個人事業主) として活動。専門は生態学、進化生物学、データサイエンス。
著書に『いじめは生存戦略だった!? ~進化生物学で読み解く生き物たちの不可解な行動の原理』『情報社会のソーシャルデザイン 情報社会学概論II』『社会はヒトの感情で進化する』などがある。

Twitter @Tadashi_Komatsu

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