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薬物に依存してしまうのは進化のミスマッチが原因? 依存症の進化心理学

ヒトは薬物摂取の自己制御メカニズムを持っていない

報酬系は動物界で広く見られるシステムで、その進化的起源はかなり古いと考えられています。神経伝達物質であるドーパミンは、食物や交配相手など、自身にとって有益な刺激を受けたときに脳内に快楽を生じさせ、行動意欲を高めるように作用します。こうしたドーパミンの働きに基づいた報酬系は、生存や繁殖にとって明らかに重要なシステムですから、ヒト以外の動物にも広く共通して存在していることに不思議はありません。

一方で、ヒトは太古から薬物を利用してきました。アルコールも薬物の一種です。5000年前のメソポタミア文明の粘土板にビールの製法が記録されています(注3)。アヘンに関しては紀元前3400年に文献記録があります(注4)。ヒトはこれらの精神作用物質を、狩猟採集生活をしていた旧石器時代から有効利用していたことが多くの証拠から示されています(注5)。約13,000年前、ティモールの人々はビンロウを普通に使用していて、約10,700年前のタイの住民もそうでした。

また、私たちの祖先は、抗菌作用や麻酔効果のある植物を怪我や病気の治療に活用していたと考えられます。約14,000年前の人骨から歯科治療の痕跡が見つかっていますが、その方法は歯の病巣内部を削り取るというもので、何らかの麻酔が用いられたことが予想される状態でした(注6)。旧人類まで範囲を広げると、3,5000年以上前のネアンデルタール人が外傷後にかなりの年数にわたり感染の後遺症がほとんどない状態で生存していたことを示す証拠が見つかっています(注7)。この状況は抗菌作用のある植物を利用しなければ、不可能であったと考えられます。こうしたことから、私たちの祖先にとって、ある種の薬物を含む植物を好む性質は生存に有利であったと考えられます。

薬物を含む植物を好んで利用していたと思われる旧石器時代の私たちの祖先は、薬物依存症になることはなかったのでしょうか? その可能性はかなり低かったと考えられます。当時は、依存症になるほどに長期にわたって大量の薬物を入手できる環境はほとんどあり得なかったことでしょう。農業が普及し、人々が定住するようになり、さまざまな植物の大量生産が可能になったのは、人類の歴史のなかで非常に最近のことです。それ以前の時代は、薬物を含む植物の流通量はヒトを依存症にするのには少なすぎたことでしょう。

同様のことは、糖分にも当てはまります。ヒトは一般に甘いものが好きです。かつてのヒトは飢餓と隣り合わせの生活でした。糖は優れた栄養素ですから、甘いものを見つけたならば、とにかく食べられるだけ食べてしまい、脂肪として蓄えておくことが、当時のヒトにとって、生存率を高めるのに有効だったことでしょう。甘いもの好きというヒトに一般的な性質はかつては適応的だったわけです。しかし、現代の社会では、甘いものはその気になればいくらでも入手できてしまいます。甘いもの好きという感情のままに、糖分を摂取し続けると、肥満や糖尿病などの生活習慣病のリスクが高まり、むしろ生存を脅かす危険があります。

こうした糖分の取り過ぎで生存率が下がるという事態は、糖分を含む食物が大量に存在するという条件下で初めて生じ得ます。その条件が満たされたのはごく最近のことで、ヒトの進化過程のほとんどはそうではありませんでした。そのため、ヒトの身体は糖分の摂取過多を控えるような自己制御メカニズムを持っていません。そのようなメカニズムが進化する機会がなかったためです。同様の理由で、ヒトの身体は薬物の摂取過多を控えるような自己制御メカニズムを持っていないと考えられます。

薬物の場合とは対照的に、ヒトは水分摂取(飲水行動)については自己制御メカニズムを備えています。生物にとって体内の水分量の調整は非常に重要です。そのため、ヒトの脳内には、体内のナトリウムイオン濃度を一定に保つため、ナトリウムイオン濃度に応じて水分摂取(喉の渇き)をコントロールする神経回路が存在します(注8)。ヒトは進化の過程で、身近に大量の水のある環境を普通に経験してきたことでしょう。そのため、水の摂取過多を控える自己制御メカニズムが進化したと考えられます。このように、進化の観点を導入することにより、ヒトが水分摂取の自己制御メカニズムは持っていても、薬物摂取の自己制御メカニズムは持っていない理由が理解できます。

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進化のミスマッチ

これまで述べてきたように、ヒトは食物や一部の薬物に対して報酬系が活性化するようにできています。ヒトの進化過程のほとんどにおいて、食物や一部の薬物は貴重な資源であり、機会があれば積極的に摂取することが生存において有利だったと考えられます。そのような条件下では、食物や薬物を刺激とした報酬系が活性化することは有効でした。しかし、現在は環境が大きく変わり、食物も薬物も大量摂取が可能な状況となっています。

ヒトは身体的には糖分摂取の自己制御メカニズムを持っていません。そのため、周りに甘いものが大量に存在する現在の環境下では、健康のために糖分摂取を自らの意志によってセルフコントロールする必要が生じます。要するに節制するということです。しかし、一般的に甘いもの好きな生物であるヒトが、報酬系が活性化した状況においてセルフコントロールすることは難しいだろうと予想されます。実際に糖分の摂取過多により肥満となる人は多いです。

薬物についても同様です。ヒトはある種の薬物を好む傾向がありますが、薬物摂取の自己制御メカニズムを持っていません。そのため、薬物摂取を自らの意志でセルフコントロールする必要があります。違法薬物を使用しないことは言うまでもありませんが、合法の薬物(市販薬、処方薬、アルコールなど)であっても、適切なかたちで摂取しなければなりません。しかし、実際にはセルフコントロールのできない人も多く、薬物依存症やアルコール依存症の対策が多くの国で問題となっています。現代のヒトは薬物依存症に対して脆弱な生物と言えます。

本来は生存にとって有利であるがゆえに進化してきた脳内の報酬系のシステムが、食物も薬物も大量摂取が可能となった現代の環境においては、依存症という望ましくない状態を生み出す一因になっています。これはまさに、環境の激変によって生じてしまった進化のミスマッチの例と言えるでしょう。

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小松正

こまつ・ただし
1967年北海道生まれ。北海道大学大学院農学研究科農業生物学専攻博士後期課程修了。博士(農学)。日本学術振興会特別研究員、言語交流研究所主任研究員を経て、2004 年に小松研究事務所を開設。大学や企業等と個人契約を結んで研究に従事する独立系研究者(個人事業主) として活動。専門は生態学、進化生物学、データサイエンス。
著書に『いじめは生存戦略だった!? ~進化生物学で読み解く生き物たちの不可解な行動の原理』『情報社会のソーシャルデザイン 情報社会学概論II』『社会はヒトの感情で進化する』などがある。

Twitter @Tadashi_Komatsu

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