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防御反応としての「うつ」──「心の強制終了」が生存に役立つ理由とは?

進化的観点の有効性

今回紹介した、うつ状態が一種の防御反応であるという考えは、進化的な観点の導入によって提示されたものです。病気の症状という一般的には望ましくないとされてきたものが、場合によってはむしろ有益であるという見方は、それ自体が興味深いです。さらに、関連する研究の成果は、うつ病の治療法開発につながる可能性もあり、応用面でも期待できます。

ヒトがチンパンジーとの共通祖先から枝分かれしたのは約700万年前ですから、人間行動の進化の時間的スパンは数百万年のスケールになります。文明が発生する前提条件となる農耕の開始はほんの約1万年前で、それ以前のずっと長い期間、ヒトは小集団(100人から150人程度)からなる狩猟採集社会で生活していました。そうした私達の祖先にとって、闘争で敗者になったとき、所属集団を変えてやり直すことはかなり難しかったことでしょう。嫌でも勝者と同じ集団に属する状況が続くことが多かったと思われます。そうした状況では、意欲を失わせ、闘争を強制終了させるうつ状態は確かに防御反応として有効だったことでしょう。

現代の私達においても、競争社会で生き残ることは重要でしょう。しかし、いつも期待通りにいくとは限りません。仕事でもプライベートでも過剰に頑張り続け、それ以上無理をすると命にかかわるような状況下では、強制的にでも心身を休ませることが必要です。そう考えると、防御反応としてのうつ状態は現代でもなかなか優れた仕組みだと思えるかもしれません。しかし、その一方で、うつ状態が強くなると、生活のために必要な活動も困難になり、最悪の場合、自殺に至ることもあります。日本の自殺者は年間3万人を超えており、厚生労働省の自殺・うつ病等対策プロジェクトチームも「うつ病等の気分障害が自殺の要因として特に重要である」と述べています(注13)。いくら防御反応として有効な可能性があるとはいっても、自殺のリスクを考えると、うつ状態を放置すべきとは言えないでしょう。緊急時に心身を休ませる手段として、うつ状態になることとは別のより安全な方法を選択することができるなら、それに越したことはありません。

現代では、別のより安全な方法は十分ありえます。ここでは、現代の私達は狩猟採集社会とは大きく異なる社会に生きているという進化的観点が重要です。対立や競争が生じても命にかかわる事態にはならないような社会制度が発達しています。たとえ敗者になったとしても、転校や転職などで環境を大きく変えることが可能です。ネットを通じて遠方の人たちと新しい集団を一から作ることもできます。人間関係のリセットも不可能ではありません。「逃げちゃ駄目だ」ではなく、別の場所で新しくやり直したほうがよい、休養したほうがよい、という状況は当たり前にありえるでしょう。このように、うつ状態になること以外での防御の方法を模索するうえでも、進化的観点に基づいた人間行動研究はさまざまなヒントを与えてくれます。

この連載コラムの題名に登場している進化心理学では、心も進化によって形成されたという前提に基づいてヒトの心理を研究します。まさに進化的観点に基づいて人間を理解しようとする学問分野です。進化心理学のパイオニアであるレダ・コスミデスらにより1992年に出版された「適応した心」には、ヒトの脳も進化の産物であること、脳の働きに個人差はあるものの基本部分は誰でも共通していること、その基本部分はヒトという種に固有の情報処理プロセスであること、が述べられています。

ヒトを対象とした研究に進化的観点を導入することは、人間とは何かという本質的な問いに答えるうえで重要であることに加えて、得られた知見をさまざまな分野の問題解決に応用する段階に達しつつあります。そうした取り組みの面白さを、この連載を通じてお届けできれば幸いです。

 連載第2回は11/10(木)公開予定です。

このコラムの著者である小松さん協力のもと、役者の米澤成美さんが作成したコラボ動画も公開中です!

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新刊紹介

小松正

こまつ・ただし
1967年北海道生まれ。北海道大学大学院農学研究科農業生物学専攻博士後期課程修了。博士(農学)。日本学術振興会特別研究員、言語交流研究所主任研究員を経て、2004 年に小松研究事務所を開設。大学や企業等と個人契約を結んで研究に従事する独立系研究者(個人事業主) として活動。専門は生態学、進化生物学、データサイエンス。
著書に『いじめは生存戦略だった!? ~進化生物学で読み解く生き物たちの不可解な行動の原理』『情報社会のソーシャルデザイン 情報社会学概論II』『社会はヒトの感情で進化する』などがある。

Twitter @Tadashi_Komatsu

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