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ブンゴウ泣きたい夜しかない。~文豪たちのなんだかおかしい人生劇場
「文豪」というと皆さんはどのようなイメージを思い浮かべるでしょうか。
いつも気難しそうな顔をしてて、メガネかけてヒゲなんか生やしてて、伊豆あたりの温泉旅館の一室で吸い殻山盛りの灰皿を脇目に、難しい小説なんか書いてる……。そんなイメージを持たれがちな彼らですが、実は現代人とたいして変わらないような、実に人間臭い面もたくさんあるのです。

名作『夫婦善哉』を残した無頼派作家・織田作之助、通称オダサクは自身の恋愛もまた熱くピュアなものでした。一途な男が生涯その心中に抱き続けた女性とは……。

【文豪と激愛】生き急ぐように書き、早逝した妻を心底愛し抜いた男~駆け落ち相手の遺髪と写真を生涯抱きしめていた織田作之助

駆け落ち相手の遺髪と写真を生涯抱きしめて〜織田作之助

織田作之助(おだ・さくのすけ)
1913年10月26日 – 1947年1月10日
「新戯作派」「無頼派」と呼ばれ「オダサク」の愛称で親しまれた小説家。
大阪の市井を描きつづけ、戦後は『世相』『土曜夫人』などの小説を発表して一躍流行作家となるも結核のため34歳で亡くなる。
代表作『夫婦善哉』(1940年)『青春の逆説』(1941年)『土曜夫人』(1946年)

カフェで一目惚れした美女は囚われの身

太宰治や坂口安吾と共に無頼派と呼ばれ、『夫婦善哉』など、故郷の大阪を舞台にした作品を多く残した織田作之助は、生き急ぐように34歳の若さで生涯を閉じるのですが、その恋愛もまたとても真っすぐ儚いなものでした。
 
織田作之助、通称・オダサクが最初の妻である宮田一枝と初めて会ったのは京都のカフェ「アルト・ハイデルベルグ」でした。しゃれた内装にクラシック音楽が流れるようなお店で、当時としては高級でハイカラなカフェです。
「小説家になるなら世間をよく知っていなければアカン!」と、まだ学生だったにもかかわらず友人たちと毎晩のように飲み歩いていたオダサクは、この「アルト・ハイデルベルグ」で働いていた宮田一枝に出会い、恋をします。上品な目鼻立ちの整った美人だったといいます。

わずか7年あまりの作家活動……まさに生き急ぐように書いていったオダサク
わずか7年あまりの作家活動……まさに生き急ぐように書いていったオダサク

オダサクは何日もハイデルベルグに通いつめ、一枝を口説きます。いつしか一枝の方もその気持ちにほだされ、二人は彼の下宿で暮らす約束をします、しかし、一枝はなかなかオダサクの下宿に来ようとしません。実は一枝には行けない理由があったのでした。

一枝はハイデルベルグのオーナーの徳永という男に借金があり、ハイデルベルグの二階に囲われていたのです。
それを知ったオダサク作之助は徳永の手から一枝を奪おうと、友人らとある計画を立案します。

名付けて「ハイデルベルグ脱出計画」!

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進士素丸

しんじ・すまる●1976年2月生まれ。ライター・文筆家。「文豪どうかしてる逸話集」(KADOKAWA)著者。文豪や歴史にまつわるツイートも話題に。
雑誌・ウェブ媒体などに寄稿しつつ、映像制作やデザインなども手掛ける。

Twitter●@shinjisumaru

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