2021.12.23
柴田勝家が思わずケチャを送った、前田慶次の娘のあっぱれな歌唱力とは?
「ペンネーム・柴田勝家でいいんじゃね」
ワシが小説家になる直前の平成26年(2014年)の秋。メイド喫茶、それも戦国メイド喫茶なる店に足しげく通うようになっていた。
あいも変わらず大学の友人たちと遊んでいる日々だったが、その裏では「ペンネーム・柴田勝家」のまま新人賞に送りつけた小説が二次審査を突破していた。ここまで残れば結構とも思っていたが、ある日、起き抜けに早川書房から連絡があり「選考の結果、大賞に選ばれました」とのこと。ちなみに、その際に「なのですが、あのペンネームはさすがに……」と言われた。
その後の経緯は簡単にまとめよう。アドバイスに従い、一旦はペンネームを本名にするも、いざ早川書房の編集部に行った際に転機は訪れる。ワシの容姿を見た塩澤編集長(当時)をはじめ、会社の偉い人たちも「柴田勝家でいいんじゃね」という空気となり、晴れて柴田勝家となったのだった。
元服のようなものである。
この一件から転がるように事態は動いていった。同年の11月にデビュー作である『ニルヤの島』が刊行され、ハヤカワSFコンテストの贈賞式も終えた。こうしてワシは小説家となったのだが、その際の模様が小さく話題になり、これがフジテレビのどこかへ伝わったらしい。
「柴田さんにテレビ出演の依頼があるんですが」
初代担当のIさんからもたらされた報告にワシは面食らった。
「マジっすか」
「アウト×デラックスです」
その番組のことは知っている。熱心に見ていた訳ではないが、常々ヤバい人たちが登場することで話題になっていた。そんな場所に常識人のワシが出られることが信じられなかった。平穏だったはずの人生を、小説家になったという一点だけでブチ抜いたのだ。
「へへ、ワシもでっかくなったもんだなぁ」
出演依頼を快諾したワシは、早川書房に集まったスタッフの人たちと最初の打ち合わせをした。しかし、ワシは別にアウトな話題なんて何もない。実に些細な人間である。どこを切り取れば面白くなるか、歴戦のテレビマンたちも頭を悩ませたことだろう。
「柴田さんは、何か趣味とかありますか?」
「メイド喫茶によく行きます」
「じゃあ、その模様を取材しましょう」
すんなり決まってしまった。
前田慶次の娘・きゃりんちゃん
翌年、平成27年(2015年)の1月某日。アウト×デラックスの収録日も決まったところで、ワシは普通に戦国メイド喫茶へ足を運んでいた。ここで収録があることは店長とかは知っているだろうが、メイドさんたちは未だに知らない。
「あはは、また来てくれてるー」
ここで何気なく、ワシに話しかけてくれたメイドさんがいる。
名前は前田きゃりんちゃん。新人のようで新人でない不思議なメイドさんだ。あと前田慶次の娘だという。利家でなく慶次だというのが渋いが、これは近くで見ていると良くわかる。
「あ、待って! コラー! そこ騒ぐなー!」
きゃりんちゃんはワシが挨拶を返すのも待たず、奥の席ではしゃいでいた常連さんたちを叱りに行く。しかも、そこで一言二言話すと、今度はまた別の席で暇そうにしている人に話しかけに行っていた。
待って、と言われたままのワシは待ち続けている。
「きゃりんちゃんって、いつもあんな感じなのか?」
たまたま話していたメイドさんに確認してみる。
「うん。きゃりんさんって人と話すの得意だからね~」
ふむ、と頷いてみる。
よくよく観察してみれば、きゃりんちゃんはとにかく会話が早いし、仕事も早いし、動きも早い。といって忙しないわけでもなく、全ての動きが自然に行われている。多分、次に自分は何をすべきか、を悩まないのだ。
つまりは「自由」で、それは前田慶次の娘に相応しかろうと思った。
「お待たせ! ごめんね、うるさかったでしょ?」
向かいの椅子に手を乗せて、ワシのところへ帰ってきたきゃりんちゃんが笑っている。その姿はなんというか、ワシにとっては輝いて見えた。