2021.11.25
柴田勝家の初陣@秋葉原のメイド喫茶
今回は柴田さんとメイドカフェの初々しい出会いが語られます。
呼び名が「柴田勝家」になった理由
平成26年(2014年)、まだワシが普通の柴田勝家だった頃の話。
そもそも一般人の柴田勝家がいるのかという話だが、これがいたのである。今でこそ、この名前をペンネームにして作家をやっているが、もとを正せば大学時代のあだ名なのだ。紆余曲折あって高校生活を6年間ほど送り(端的に言うとサボりすぎて単位が足りなかった)、大学生になったのが2010年、当時は22歳だったが、いかんせん武将のようなヒゲを生やした風体で特異に見られることこの上なし。
これに加えて、同級生たちとUNOで遊んでいる際に負けがこんで「まるで賤ヶ岳だな」と口走ってしまった。聞き慣れない合戦場の名を説明している内に、晴れて柴田勝家と呼ばれるようになったのだ。その後、文芸部に入ってペンネームを決める段になり、すでにあだ名があるのに名前を増やすのも不便だったので柴田勝家とした。つまり、ペンネームとして使うよりも先にワシは柴田勝家だったのである。
そんな文芸部で過ごした大学生活。さらに民俗学者を目指して大学院に進んだのを機に、文芸部生活の記念受験のような感じでハヤカワSFコンテストに原稿を送りつけた。あと就活したくなかった。ただ本気で作家になれるとも思っておらず、ペンネームを変えることもせずに柴田勝家のまま送った。その後の経緯は色々とあるが、ワシは今も柴田勝家を名乗っている。これは全く人生の不思議である。
といった訳で、小説をコンテストに送って満足していたのが2014年の夏である。自由気ままな大学生活の最後の輝きは、所属する文芸部の部室で浪費することにしていた。その無駄っぷりはワシ一人のためにつけられた部室の電灯および冷房と完全に同期している。ワシはもうOBのような存在で、部長職も後輩に譲り、来る必要もないのに部室に顔を出しては時間を潰していた。
そんな夏のある日。
「勝家パイセン、メイド喫茶、行きたくないスか?」
部室に顔を出すなり、文芸部の後輩のカエサル(あだ名)がそんなことを言ってきた。この男、新入生の頃より楽しいことだけを追い求める生粋の遊び人であり、振る舞いもローマ皇帝かくやという強権ぶり。まさに陽中の陽、文芸部にいる方が珍しいタイプの人材だ。というか、同じ部活に柴田勝家とカエサルってあだ名のヤツがいるのやばいからな。
「メイド喫茶だァ?」
「カカーッ(笑い声) そうッスよ! 行きたくないスか?」
こちとらオタクである。電車男以前からの秋葉原の住人である。そういう自負がある。しかし、メイド喫茶にだけは行ったことがなかった。一人で行くのが怖かったのである。
「フフ、ワシを誰だと思ってるんだ?」
メイド喫茶に行く、そのチャンスだった。
「余裕だぜ。行くぞ」