2020.4.12
結婚は罰ゲームなんですか?
アレ子から求めた再開
倒れてから10年くらいだろうか、
アレ子は献身的に介護を続けていた。
義母は脳梗塞の麻痺が少しずつ良くなり、
言葉のコミュニケーションもずいぶん戻ってきたが、
70代になり、今度は認知症が出てきた。
そうなるとアレ子だけで介護することは難しくなった。
義母の介護はヘルパーに任せるようになったが、
それでも義母はアレ子が毎朝、食事を部屋に運ぶと表情を緩めた。
しかしその頃、義母の顧問税理士も、同じように年を取り亡くなった。
義母の資産管理は、事務所を継いだ別の税理士に代替わりをしたが、
最愛の人に会えなくなったことを悟った義母の認知症は、
どんどんと進んだ。
そんな中アレ子は、新聞の経済面、大手ゼネコンの
人事のニュースで、たまたま彼の名前を見つけた。
もう40代も後半、今しかないとアレ子は思い、
思い切って会社に電話をしてみた。
「財務省の……の妻ですが」
と夫の名前を名乗ることにためらいはあったが、
あっという間に電話は彼にまで取り次がれた。
彼はアレ子の電話に声を弾ませ、すぐに再会の約束となった。
そして逢瀬が始まった。
彼は、アレ子のありのままを受け容れてくれた。
冷え切った関係にある夫への愚痴や不満、
アレ子自身の義母への思い、
それに世間体やお金を気にするアレ子の卑しさも、
彼は全てを受け容れてくれた。
アレ子は、彼の身体に包み込まれることで、
年甲斐もなく素直になれた。
ずっと一緒にいたいと思った。
ただ彼も結婚していた。
彼には妻と大学生になる二人の息子がいた。
息子の一人は東京の私立大学、もう一人は地方の国立大学で、
「金がかかる」と言っていた。
アレ子は、子供や家庭の幸せを築きながらも、
アレ子との関係を楽しむ彼のことを、
「羨ましい」とは思わなかった。
むしろ、彼がそれなりに幸せでいたことが嬉しかった。
彼からのプロポーズ
夫は50代になったところで、省から離れた機関に出向した。
アレ子はそれを聞いて、夫がようやく事務次官レースに
敗れたことを知った。
「おつかれさま」と言ってあげるほどの愛情もなかった。
かといって「ざまぁみろ」と思うほどの興味もなかった。
もはやアレ子にとって夫は完全に他人だった。
義母は家での介護が難しくなり施設に入ったが、
義母の資産管理はアレ子が引き継いでいた。
アレ子は夫のための家事も含めて、
義母の資産管理の中にある、
自分の仕事だと割り切るようにしていた。
彼との逢瀬のときだけがアレ子のありのままであり、
それ以外は、義母のために機械のように役割を果たす、
そういう気持ちだった。
夫が家にいることが多くなっても、
広い家では顔を合わせなくてもやりすごせる。
そしてアレ子は義母の施設に顔を出すときは、
そのまま彼とどこかで落ち合った。
義母の施設も、彼から紹介された、評判の良い施設だった。
そんな頃、アレ子は彼からプロポーズされた。
まさかのことだった。
彼は、アレ子と再会してから、子供がそれぞれ独立するのを待って、
妻に離婚を切り出したと言った。
ただ彼の妻は、その前にアレ子と彼の関係を知り、
激しく取り乱しちょっとした騒動になったとも言われた。
彼はそこで妻に謝罪し、相当のお金を積んで、
妻に離婚してもらったとのことだった。
彼が働いて建てた家もそのほかの財産も、
息子たちに対する父親としての沽券も、
全てをなげうって離婚したと彼は言った。
その上で、彼は離婚していつでも再婚できるようになったからと、
「いつまでも待つから」とアレ子にプロポーズをした。
彼からのプロポーズは予想外だった。
そのとき初めて、アレ子は、
「彼と結婚して一緒に暮らしたい」と思った。
彼からプロポーズを受けて1年後、
義母が亡くなったことをきっかけに、アレ子は家を出た。
義母の財産はそのまま一人息子の夫が相続する。
もうアレ子は義母のための役割も十分に果たした。
アレ子は家を出て彼のもとへと行った。
アレ子の離婚訴訟
アレ子は彼の紹介した弁護士に依頼して、
すぐに夫との離婚へととりかかった。
それは早く彼と結婚したかったからだ。
古い考えかも知れないが、彼と同じ名字になりたかった。
誰かに会ったときに、胸を張って「私たち夫婦です」
と言いたかった。
それにアレ子にプロポーズをしてすぐ、
彼の癌が発見された。
幸い早期の癌で、簡単な手術で対応できて、
再発の可能性は低いと言われていたが、
最期は夫婦として添い遂げたかった。
弁護士からは、まず最初は丁寧な手紙で、
夫に対して離婚届による協議離婚のお願いをしてみようと
提案された。
アレ子からすれば、
もうとっくに夫婦仲が冷え切っていたのだから、
「丁寧にお願いする」ことには抵抗があったが、
弁護士からは、
「ここで丁寧にお願いする姿勢が大事」
と言われたので、そこは弁護士に任せた。
ところが夫もすぐに弁護士を入れて、
「離婚する気は一切ない」
という返事をしてきた。
「夫婦というほどの形もなかったのに」
なぜ離婚する気がないのか、
アレ子はまったく理解できなかった。
でも夫が離婚を拒否する以上、
アレ子はやむなく離婚調停を申し立てて、
家庭裁判所で夫との離婚の話し合いをすることにした。
しかしそこでも夫は、
「不倫相手と一緒になるために、
家を出た妻の身勝手では離婚しない」
と離婚を拒否する姿勢だった。
間に入った調停委員が、
「でも現実にアレ子さんは家を出ているのですから
離婚しないとしたら、じゃあどうするのですか?」
と夫に問うたそうだが、夫はそれも、
「妻が自分でどうするか考えればいい」
というような答えだったらしい。
アレ子は、離婚してくれるなら慰謝料を払ってもいいと
提案してみたが、それも拒否された。
そもそも夫はお金に困っていない。
むしろ逆効果だった。
けっきょく調停は不調となった。
アレ子は判決での離婚を求めて、
離婚訴訟を提起することとなった。
アレ子は人生の中で、自分が裁判の原告になることがあるとは、
思ってもみなかった。
でも、アレ子はここまできたら、離婚を目指すよりほかなかった。
民法770条1項5号では、
「婚姻を継続しがたい重大な事由」があれば、
夫婦の一方が離婚の訴えを提起できるとある。
アレ子側は裁判で、長年、夫婦の関係は冷え切っており、
アレ子が家を出たことで婚姻関係の破綻が明白になったと主張した。
それに対して夫側の反論は、
「有責配偶者からの離婚請求だから認めない」
というものだった。
夫は、探偵に調べさせたアレ子の行動報告を、
裁判の証拠として出してきた。
アレ子が義母の施設を見舞った帰り、
彼の車に乗り込んでホテルに行くまで、
探偵に尾行させ写真を撮っていたのだ。
さらに夫は彼の元妻までをも証人として、
法廷に引っ張り出してきた。
「私は妻として子供を育て上げた矢先に、
アレ子に夫を奪われました」
彼の元妻は法廷でそう証言した。
夫はここまで品性が低かっただろうか。
財務省の事務次官レースに負けたことで、
ここまで性格がねじ曲がったのだろうか。
いや、夫はもともとそうだったのか。
アレ子も、かつて自宅にかかってきた
夫の愛人をにおわす怪電話の事実を
主張したが、証拠もない話として、
裁判では一顧だにされなかった。
弁護士からは、証人尋問が終わった段階で、
「裁判所は外から見える事実を重視するので、
有責配偶者であることは明白だからと、
離婚を認めないと判決するでしょう」
と言われた。
夫婦の関係が冷え切っているという、
「外から見えない事情」を、
裁判所はほとんど取り合ってくれないと言うのだ。
そして弁護士が言ったとおり、
アレ子からの請求を認めない判決がされた。