2020.4.12
結婚は罰ゲームなんですか?
【アレ子の場合】
有責配偶者のアレ子
「原告の請求を棄却する」
弁護士から届いた裁判の判決の「主文」だ。
原告はアレ子、被告はアレ子の夫。
アレ子の夫に対する離婚訴訟、アレ子は敗訴だ。
アレ子の離婚は認められない。
判決文には、離婚を認めない理由が、長々と書かれている。
結論としては、アレ子が「有責配偶者」だから、
アレ子からの離婚請求は認められない、という理由だった。
「有責配偶者」という言葉は、裁判になって初めて知った。
裁判を起こして間もなく、原告のアレ子の弁護士が
提出した訴状に対して、被告である夫の弁護士から出された
答弁書という書類の中で、目にしたのが最初だ。
「有責配偶者であるアレ子からの離婚請求は、
棄却されるべきである」
と書いてあった。
アレ子の弁護士は、「有責配偶者」というのは、
婚姻関係破綻の原因について、特に責任がある側の
配偶者を指す言葉だと、説明してくれた。
そのときアレ子は、「でも……」と言いかけたが、
きっとそれが世間の見方なんだろうとも思った。
もちろん弁護士には、こうなった事情は全部、話している。
ただそれでも夫から裁判の書類で、
「結婚がダメになったのはアレ子の責任だ」
「自分に責任があるのに離婚したいなんて許せない」
と言われるのは、悔しかった。
そして裁判所も、夫の言い分と同じ判決をした。
弁護士からは、判決の前から、
「おそらく有責配偶者からの離婚請求として、
こちらが敗訴になるでしょうね」
と言われていた。
負け戦とわかっていても、負けた事実は悔しい。
離婚の敗訴判決を受けたアレ子は今55歳。
夫と知り合ったのは20歳頃だから、もう35年も前だ。
東大のジャズサークルで知り合った夫
アレ子は郷里の静岡の女子校を出て、
東京の女子大に入学した。
1980年代半ば、世間はバブルで浮かれていた。
アレ子は東京の伯父の家に下宿した。
下宿先の伯父は本郷で歯医者をしていた。
本郷だから伯父の患者には東大生も多く、
アレ子は伯父の紹介で、
東大のジャズサークルに参加することになった。
アレ子はジャズにはあまり興味がなかったが、
「いい人を探すため」に参加した。
黒目がちでまつげが長い顔立ちのアレ子は、
さながら「女優のよう」で、
ジャズサークルの東大生の男子たちは、
皆、アレ子の気を引こうとざわついた。
夫もそのジャズサークルの東大生の一人だった。
アレ子が女子大の2年生、
夫は東大の法学部の3年生だった。
夫の父親は日銀で働いていて、
夫自身は官僚志望だと言っていた。
「絵に描いたような」東大生で、ジャズが好きというよりも、
「ジャズに詳しい自分が好き」というタイプだった。
二人はジャズサークルの中で、「公然の仲」になった。
成城にある夫の家に初めて招待されたのは、
夫が官僚になることが決まった大学卒業前の正月だった。
夫の両親には「交際相手」として紹介された。
エリート東大生の一人息子が連れてくる、
地方出身の女子大生として値踏みされる覚悟だった。
しかし夫の父親はアレ子の容姿にしか興味がない様子だった。
アレ子の母親は、「すまして歩くだけで上品だと思わせる」
容姿で、若い頃はアレ子と顔立ちも似ていたのだろうなと、
アレ子自身も思えた。
夫の母親はアレ子と夫の交際について、
「今のワカモノは自由恋愛で、いいなぁ」
「アレ子ちゃんが卒業してから、結婚すればいいわ」
と言った。
東京の上流階級は、こんなにあっけらかんとしたものか、
とアレ子は驚いた。
ただ、アレ子は「自由恋愛」という言葉が引っかかった。
アレ子の伯父が東大のジャズサークルを紹介したのも、
「東大卒のエリートと結婚するため」のことだと、
アレ子自身もよくわかっていた。
だから東大のジャズサークルでも、
いちばん将来が有望で家柄が良い夫を、アレ子は選んだ。
アレ子がわざわざ東京の女子大にきて、
本郷の伯父の家で下宿しているのも、
ひとえに「いい結婚」のためなのだ。
それでも夫の母親には、「自由恋愛」と映るのか
というのが、アレ子には不思議だった。
アレ子の自由恋愛
夫が卒業し、アレ子も女子大の4年になった。
卒業したら夫と結婚するのだろうと、ぼんやり考えていた。
夫もいなくなったからジャズサークルには顔も出さなくなり、
アレ子は伯父の家からお茶やお花の稽古に通うようになった。
官僚になった東大卒の男と結婚する予定で、
花嫁修業に精を出すアレ子を、同級生の女子大生たちは、
「古い時代の女」のように扱った。
たしかに時代はバブルまっただ中、
アレ子たち女子大生はもてはやされ、自由を謳歌していた。
アレ子の通う女子大の前の道路にも、
女子大生目当ての外車が列をなす、それが日常だった。
女子大生の肩書きがあれば「全てを手に入れられる」かのようだった。
でもアレ子は、自分たち女子大生の「自由」は、
たまたま景気の巡り合わせで目の前に「おはちが回ってきた」
だけのような気がしていた。
自分たちで勝ち取った「自由」でもなければ、
「自由」を使った先に目指す何かが見えるわけでもなかった。
一見「自由」に見えるきらびやかな人生よりも、
退屈でも安定した人生のほうが、
きっと幸せになれる、アレ子は自分にそう言い聞かせていた。
六月の雨の日の夕方、この日もアレ子は退屈なお花の稽古のあと、
浮かない顔をして、駅から伯父の家へ歩いていた。
稽古でもらった切り花、そしてカバンを抱えているから、
小さな傘では雨をよけきれず、スカートも靴もずぶ濡れだった。
こういうときアレ子は隠すことなく不機嫌な顔になる。
「いったい全体、なんで世の中は私の思い通りにならないのだろう」
そんな気分が顔に出た。
「あ。アレ子ちゃん」
と声をかけられた。
アレ子はまさか誰か知り合いに会うとも思わず、
ビクッとしてその声のするほうを見た。
そこにはジャズサークルで見知った顔の男がいた。
夫の同級生で、工学部で建築を専攻していると言っていた。
北海道出身で、酪農をしている両親が、
「乳の出を良くするために牛にジャズを聴かせるから
自分もジャズが好きになった」
と嘘か本当かわからないような話をしていた男だった。
夫と同級生だからもう卒業しているはずだ。
「今、すごい不機嫌な顔していたけど、すぐそこ、
俺の下宿だから、傘大きいのに持ち替えて、
花はうちに置いて帰りなよ」
と彼に言われた。
アレ子は「不機嫌な顔」とそのまま言われたことへの戸惑いと、
荷物を軽くできて、傘を大きくできるという、
今この瞬間の問題を全て解決できることに釣られて、
不用心にも下宿までついて行ってしまった。
彼は、下宿で、アレ子がお花の稽古から持って帰ってきた切り花を、
手早く空き瓶にセンス良く飾り、
少しの蜂蜜を入れた温かい紅茶を入れてくれた。
「ジャズ聴く?」と言って、
彼はカセットテープでジャズを聴かせてくれた。
彼はこの春に卒業する予定だった。
ところがギリギリ単位が足りず留年したそうだ。
実家が北海道の酪農家というのは本当のようで、
幸い酪農の景気が悪くないから仕送りは続けてもらっており、
空いた時間でいろいろアルバイトをし、
大手ゼネコンへの就職も決まったということだった。
アレ子は、そういえば彼だけは、ジャズサークルの中で、
アレ子に対して、色めき立つ視線を向けなかったなということを、
思い出した。
だからアレ子の中に彼の記憶が残ったのだ。
その日、アレ子は紅茶を飲んだあと、
大きな傘を借りてそのまま帰った。
ただ、その夏、アレ子は、傘を返すという自分なりの大義名分で、
思い切って彼の下宿を自分から訪ね、そして身体の関係を持った。
夫とも身体の関係を持っていたから、初めてではなかったが、
卒業すれば夫と結婚することが決まっていた。
結婚してしまえばもう夫だけになる。
夫の母親の言った「自由恋愛でいいなぁ」という言葉を思い出すと、
後悔をしたくなかった。
だから彼と関係を結んだ。
アレ子は北海道の酪農家の家に自分が嫁ぐとはとても思えなかったし、
ゼネコンに就職する彼と共に全国を転々とするような暮らしも嫌だった。
ただ、自分の中で芽生えた感情を確かめたくて、
今から思うと大胆な行動をした。
その後、卒業まで、アレ子は彼と関係を重ねたが、
彼の卒業が決まったあたりで自然とそれは終わった。
今の時代のように携帯電話もメールもLINEもない。
だから「終わらせる」と思えばそれで終わった。