2019.8.4
私は家族を養うために仕事をする
【ザラ子の場合】
私は育休を切り上げた
ザラ子は書籍流通の会社の営業職だ。
全国展開している大型書店の担当だった。
出版不況とは言われるが、
世の中には次から次へと新刊本が発表されるので、
実際の仕事が暇ということはなかった。
ただ、忙しくてもザラ子は仕事が好きだった。
もともと本を読むのも好きだったが、
仕事で触れる本についてのたくさんの情報は、
その流れを見ているだけで、
本を読んでいるような、
次から次へとページをめくるような楽しみがあった。
新しい本のタイトルが文字で届く。
そして実際に装丁された本を帯と共に手に取る。
出版社からチラシなど営業の情報が届く。
そして本を書棚に並べる書店から、
追加注文や返品の連絡が入る。
ザラ子が仕事で手に取る本の情報は、
その瞬間その瞬間の社会を映し出していた。
ザラ子は、この仕事が好きだった。
だから長男を妊娠・出産したあとも、
育休をめいっぱい使おうかとも思ったが、
運良くすぐに保育所に子供を預けられたので、
思い切って早めに職場に復帰した。
育休を早めに切り上げて、
時短ながらも働く中でザラ子は、
あらためて、この仕事が好きだと思った。
ザラ子は、まさに本を読むように、
世相が次々と映し出される自分の仕事が、
本当に好きだった。
学生時代に知り合った夫
名古屋出身のザラ子は、
京都の女子大に入学し京都で下宿した。
大学2年のとき、
京大のサークルに入っている同級生に誘われて、
京大の男子学生との合コンのような形で祇園祭に行った。
夫はそのとき一緒に祇園祭に行った京大生の一人だった。
ひと学年上とはいえ、当時夫はまだ21歳だった。
それなのに、夫は何かと理屈っぽく、
大人びたことを言おうとしていた。
東京の有名私立高校出身の夫は、
「東大は勉強しかできない奴がいくところだ」
と、自分は違うのだと言いたげだった。
そして夫は物怖じしない強気な振る舞いをしつつも、
細かく人を見て周囲に対する気遣いもしていた。
ザラ子は「こういう京大生と付き合いたい」と思った。
でも、ザラ子を祇園祭に誘った同級生も、
夫を狙っていた。
ザラ子の同級生は、
ひとりだけ浴衣を着て来て、
いかにもシナを作った上目遣いで、
夫の気を引こうとしていた。
少女が色仕掛けをしているようで、
ザラ子は焦るというより、
イライラした気持ちになった。
ザラ子は祇園祭の翌週、
自分から夕方、夫を誘った。
まだLINEはない時代だ。
ガラケーのメールだった。
「京大の学食でご飯を食べてみたい」
というようなメールを送ったと思う。
当たり前だがザラ子の目的は学食ではない。夫だ。
ザラ子は、夫と学食で食事をしたあと、
そのまま京大近くの夫の下宿に行き、
その夜のうちに関係を持った。
夫は、ありきたりの男じゃない風を装いながらも、
関係を持ってしまえば、
ザラ子と恋人として付き合うことを受け容れた。
高校時代に読みふけっていた、
山田詠美の小説の主人公のような気分で、
ザラ子はそこから夫一筋だった。