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南和行「離婚さんいらっしゃい」
離婚をめぐるたくさんの悩みやさまざまな葛藤。そこには、夫婦、家族の数だけドラマがある。夫婦関係で悩んでいる人たちが、自分の人生を取り戻せるヒントが得られることを願って……大阪で弁護士として働く著者が架空でつづる離婚をめぐる物語。

第3回 離婚してないんでしょ?出生届出せませんよ

【プロローグ】

 ようこそ離婚さん。離婚さんいらっしゃい。前回のユニ子さんは、現代女性のかがみのようなりんとした姿勢で、自分の生活と人生を守るために離婚を拒否しました。でも、夫はユニ子と離婚しようがしまいが、ユニ子のもとを去ってしまう。
 結婚は自由と引き替えに幸せを得る保障をしてくれるのでしょうか。それなら離婚によって、預けていた自由は返してもらえるのでしょうか。女は女であるだけで結婚にも離婚にも縛られる、それは悔しさ以上の深刻な問題となり影を落とします。

【ミミ子の場合】

 ミミ子は高校を卒業してすぐに福岡から東京に出てきた。あれから7年、25歳だ。福岡では、父親と父親の彼女と3人暮らしが長かった。父親の彼女とミミ子は、口もきかないほどそりが合わず、お金のない3人暮らしは家も狭く、息が詰まるような生活だった。だからあてもなくとにかく東京に出て、バイトで食いつないで、少しずつ東京の人間になろうとした。
 20歳になってすぐ妊娠がわかり、付き合っていた男と籍を入れた。籍を入れる前から一緒に暮らしていた新宿区の狭いアパートで同じ名字になった。籍を入れることの意味もよくわからなかったが、妊娠検査薬で妊娠がわかり、産婦人科に行くお金もなかったが、「子供ができたからケジメ」だと男はもったいをつけて婚姻届を持ってきて汚い字で名前を書いて二人で新宿区役所に出しに行った。
 男はそこからミミ子のことを「嫁」と呼ぶようになった。ミミ子は「嫁」と呼ばれるのは好きではなかった。もともと気に入らないことがあると殴る癖があった男は、ミミ子が悪阻つわりで寝込んでいると不機嫌になった。バイトを休むと怒った。そして流産した。初めての産婦人科で、処置を受けながら、ミミ子は体の中で命が途切れたことを実感し泣いた。ミミ子は、自分が何を求めて生きているのか、わからなくなっていた。福岡から逃げるように東京に来て、今も何かから逃げるように生きている。ミミ子にとって体の中の新しい命は少しの希望だった。
 処置を受けてアパートに帰ると男に怒鳴られた。流産はミミ子が悪いと言われた。流産で金がかかったと言われた。「俺の名前を返せ」と言われた。名前? どうやらそれは、男との入籍によりミミ子自身の名字にもなった男の姓のことだった。離婚しろということなのかとも思った。ミミ子は、男から、容赦なく殴りつけられるだろうということがわかったので、逃げるような生活をこれで終わりにするには、本気で今、逃げるしかないと思い、産婦人科で使わなかった1万円札を握ってスリッパのまま家を出た。
 1年後、ミミ子は福岡の祖母の家にいた。祖母は生活保護を利用し、市営住宅で暮らしていた。ミミ子が転がり込んだとき、祖母は嬉しそうな顔はしなかったが、それほど嫌そうな顔もしなかった。ミミ子は、パチンコ屋でアルバイトをし、とにかくお金を貯めようと思った。逃げなくてもいい生活になりたかった。
 そんな中、今の夫と出会った。パチンコ屋のバイトの先輩だったが、ミミ子より10歳も年上だった。芸人を目指して大阪に行ったが鳴かず飛ばずで、バイクで大けがをして福岡に帰ってきたと言っていた。今でも重たい荷物を運ぶのは足がしんどそうだったが、機転のきいた店内アナウンスなど、夫にしかできない仕事をしていた。ミミ子と夫は、互いに好意を抱くようになり、ミミ子は祖母の家を出て、夫のアパートへと移り住んだ。
 今度は転がり込むのではなく、ちゃんと引っ越した。ミミ子はホームセンターで、4900円のチェストと、3000円のクッション座椅子をおそろいで二つ買って、夫のアパートに引っ越した。夫はシングルベッドをダブルベッドに買い替えてくれた。夫は優しくてミミ子をいつも笑わせてくれた。パチンコ屋の帰りに二人でスーパーに立ち寄り安売りの食材を買って、家に帰ると夫が料理をしてくれた。そしてまたミミ子の体の中に新しい命が宿った。ミミ子は幸せだった。今の夫と二人の幸せが、またもうひとつ大きな幸せになるように感じた。自分と夫が新しい命を幸せにする光になりたいと思った。
 産婦人科の受診もし、夫が「出産までに結婚して、夫婦で子供を迎えたい」とプロポーズしてくれた。ミミ子はそのとき、新宿区役所で20歳のときに出した婚姻届のことが頭をよぎった。結婚できないなんて夫に言えない……ミミ子は、翌日、福岡の区役所で離婚届の出し方を聞き、戸籍謄本を用意して、左手で男の名前を書いて判子を押して郵便で新宿区役所に送った。左手で書いた男の名前は、実際に字が下手くそだった男本人の字に似ているようにも思った。

【弁護士からミミ子へ】

 離婚届を役所に提出し受理されれば、離婚届に書いたとおりの内容で、離婚した事実が戸籍に反映されます。しかしあくまでもそれは、その離婚届を、夫婦二人が離婚することを互いに了解した上で真正なものとして作成したことが前提です。今回のミミ子さんのように、相手方の男性の了解もなく勝手に名前を書き込んだ離婚届は、法律が想定する離婚の届出とはいえず、偽造の離婚届であり有効ではありません。
 ただ役所の実務として、提出された離婚届について、今のところ本人の意思確認や本人の筆跡確認はされていません。そのため自分の意思によらない離婚届が出されるおそれがある人は、役所にあらかじめ「もしワタシの名前の離婚届が出されても受理しないでください」という離婚届不受理申出をしておかないといけません。
 そしてこの離婚届不受理申出がされていなければ、実際のところ、ミミ子さんのような偽造の離婚届のように、本人の意思によらない離婚届が出されることを、役所の窓口であらかじめ阻止することは困難です。そのため離婚届が提出されてしまうと、ほとんどの場合は、その離婚届に書かれた内容のまま、離婚の事実が戸籍に記載されます。そしてそれにより外から見ると有効な離婚が成立したようになります。
 ミミ子さんが提出した離婚届も、新宿区役所で受理されればその内容で戸籍には離婚が成立したと書かれます。しかしこの離婚は、偽造の離婚届による無効な離婚です。もしも相手の男性が、「こんな離婚届を俺は書いていない」「俺は離婚する意思がない」と、離婚無効の訴えを裁判所に起こした場合、ミミ子さんが出した離婚届に基づく戸籍の記載はすべて抹消されます。ミミ子さんは、男性とまだ婚姻している状態に戻ります。また離婚届を偽造し提出したことについて、有印私文書偽造の罪、電磁的公正証書原本不実記録の罪といった刑事罰に問われる可能性もあります。
 ただミミ子さんのように、生活の事情から逃げるように結婚生活から飛び出して、息も絶え絶えで暮らしていた人にとって、連絡を取ることすらしんどくなるような相手に、離婚届による協議離婚を真正面から持ちかけるのはとても難しいです。また、話し合いに行って暴力を振るわれるという危険を考えると、問題がある相手である場合ほど、協議離婚の成立は難しいというのが実情です。
 協議離婚ができないとなると、離婚を求める側は裁判所に離婚調停を申し立てることになりますが、離婚調停の申し立ては原則として、離婚を求められる側の住所の裁判所となっています。ミミ子さんの場合は、新宿区を管轄する東京の霞が関にある東京家庭裁判所に離婚調停を申し立てなければなりません。ミミ子さんが、東京の裁判所に自分で離婚調停を申し立てることはとても難しいです。弁護士を依頼するにしてもお金がかかります。そして何よりもそんなことをしている間にも、ミミ子さんのお腹に宿った新しい命は、すくすくと育っています。

【ミミ子のその後】

 福岡のミミ子と夫のアパートに、新宿区役所から離婚届が返送されてきた。ミミ子が左手で書いた男の署名がバレたのではなく、ミミ子なりに書き方を福岡の区役所で聞いて書いたつもりだったが、不備がいっぱい指摘された。しかしその不備はどうでもよかった。新宿区役所から返送された郵便を受け取ったのは今の夫だったのだ。
 結婚できないことを夫に知られて、ミミ子はもうだめだと思った。また殴られると思った。夫には一度も殴られたことなどないのに、東京で籍を入れた男の怒鳴り声が頭に響いた。「ワタシは最愛のこの人の子を宿しながら、結婚もできないふしだらな女だ」とミミ子は、自分が人を幸せにできないことが情けなかった。
 ところが夫は「かわいそうだったんだね」「ミミちゃん、幸せになっていいんだよ」と、ミミ子よりももっと泣いて、ミミ子を優しく抱きしめた。ミミ子は、夫が結婚できないことを怒らないこと、ミミ子が悪いと責めないことに、あっけにとられた。「ミミちゃん、僕とミミちゃんが結婚できなくても、生まれてくる赤ちゃんは、僕とミミちゃんの二人の子供なんだから」「二人と赤ちゃんの3人で一緒に幸せになろうね」と言ってくれた。
 そして臨月になり、ミミ子は、赤ちゃんを生んだ。大きめの男の子だった。ミミ子と夫は、産婦人科で出生届の右ページに出生証明書を書いてもらい、母親の欄にミミ子、父親の欄に夫の名前を書いて福岡の区役所に提出した。区役所に提出したとき、窓口の人からは「おめでとうございます」と言われた。嬉しかった。
 しかし、30分ほど待たされたあとで、別室に呼ばれた。机の上には、さっき提出した出生届が置かれてあり、窓口とはちがう男性の職員から「この内容では出生届を受理することはできません」と言われた。あっけにとられるミミ子を前にその男性の職員は、「父親の欄に、ミミ子さんの結婚している男性の名前を書いてください」「それが法律の決まりですから」と言った。
「でも、この子の父親は僕です」夫が言った。男性の職員は「え? あなたはミミ子さんの結婚している旦那さんじゃないよね。実際はどうなのかは役所は全く関係ないから。とにかく法律で、この子の父親は、ミミ子さんの結婚している旦那さんって、この子が生まれる前から決まっているから」
 ミミ子と夫は、かみ合わない話と理解できない内容にただ疲れ、突き返された出生届を手にして家に帰った。夫の姉が心配そうに赤ちゃんを抱っこしながら待っていた。

【弁護士からミミ子へ】

 民法772条1項には「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する」という規定があります。この規定は「推定」と、一見すると軽い言い回しをしているようですが、これはそうではない反対の事実を証明しない限りその通りに決められる強い「推定」だと理解されています。ミミ子さんは、20歳のときに籍を入れた男性と離婚が成立していない、「婚姻中」の状態でありその間に妊娠、つまり懐胎しました。だからこの民法772条により生まれた子供の父親は、結婚相手の男性だと推定されるのです。
 しかし、実際に、ミミ子さんが産んだ赤ちゃんの父親が、福岡で一緒に暮らしている夫であることは、ミミ子さんも、夫も知っていることです。ミミ子さんの結婚相手の男性だって、ミミ子さんが福岡で産んだ赤ちゃんの父親が自分でないことは百も承知なはずなので、法律で「あなたの子供だ」となるのだよと言われても、かえって困惑するでしょう。
 それならやっぱり、赤ちゃんが生まれる前になんとしてでも新宿区役所に離婚届を出しておくべきだったのか……というとそうでもないのです。民法772条2項には「婚姻の解消若しくは取消しの日から三百日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する」と規定されていて、離婚、つまり婚姻の解消から300日以内に生まれた子は、婚姻中に妊娠したと推定され、772条の1項と相まって、けっきょくその子の父親は、結婚相手の男性の子だと推定されるのです。
 妊娠に気づいてから何らかの形で離婚を成立させたとしても、妊娠前の最後の生理日からおよそ280日後を出産予定日と算定するように、妊娠に気づいている時点で、離婚成立から300日以内には赤ちゃんが生まれるのが通常です。だからミミ子さんも、結婚相手の男性の名前を勝手に書いた離婚届が、仮にあのとき新宿区役所に受理されていたとしても、赤ちゃんの出生届を出せないことには変わりなかったのです。

【ミミ子のその後のその後】

 ミミ子と夫は子供を「のぞむ」と名付けた。でもこの名前は、二人の間だけで付けただけで、出生届はまだ出せていないから、この赤ちゃんがミミ子と夫の子供であること、望という名前であることを表す書類はどこにもない。ミミ子と夫にはどうしたらいいのかわからなかった。
 赤ちゃんが3ヶ月くらいになったとき、ミミ子と夫と赤ちゃんが暮らすアパートに区役所の職員がきた。国からの命令で「民法772条による無戸籍の実態調査」をしているという。ミミ子は、結婚相手の男性との生活のことを根掘り葉掘り聞かれた。これに協力すれば、もしかしたら特別に戸籍を作ってもらえるのかもしれない、ミミ子は役所の偉い人に期待した。
 ところが区役所の職員は、「アナタ、子供の出生届、あきらめて結婚相手の戸籍に入れる形で届を出しなよ」「それが嫌なら、結婚してる夫を相手にして裁判するしかないんだから」「弁護士雇うお金ないでしょ」「このまま出生届を出して、結婚相手の戸籍に入って、相手が怒って裁判起こしてきてくれたら、それで解決するからラッキーだよ」と言い残して帰って行った。
 ミミ子と夫は、戸籍がない望を抱いて、変わらぬ暮らしを続けている。

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南和行

みなみ・かずゆき●1976年大阪府生まれ。京都大学農学部、同大学院修士課程卒業後、大阪市立大学法科大学院にて法律を学ぶ。2009年弁護士登録(大阪弁護士会、現在まで)。2011年に同性パートナーの弁護士・吉田昌史と結婚式を挙げ、13年に同性愛者であることを公言する同性カップルの弁護士による弁護士事務所「なんもり法律事務所」を大阪・南森町に立ち上げる。一般の民事事件のほか、離婚・男女問題や無戸籍問題など家事事件を多く取り扱う。著書に『同性婚―私たち弁護士夫夫です』(祥伝社新書)、『僕たちのカラフルな毎日―弁護士夫夫の波瀾万丈奮闘記』(産業編集センター)がある。
大阪の下町で法律事務所を営む弁護士の男性カップルを追った、本人とパートナー出演のドキュメンタリー映画『愛と法』が話題。
・なんもり法律事務所
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・南和行のTwitter
https://twitter.com/minami_kazuyuki
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