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言語研究とクオリア研究の重要な共通点──早稲田大学准教授・佐治伸郎インタビュー

「私が思い浮かべる『赤色』と、あなたの頭の中の『赤色』は、本当に同じ色?」
こんな問いを考えたことがある人は多いかもしれません。
そういった「赤い感じ」や「コーヒーの香りのあの感じ」等は、〈クオリア〉と呼ばれています。

重要なテーマであっても、これまで科学的にアプローチしにくかった〈クオリア〉。
そこにいま、様々な分野の最先端の研究者たちによる、新たな研究が進んでいます。
〈クオリア〉を探求する多様な研究者に話を聞く、インタビュー連載です。

言語心理学者として、言語と認知との関係を研究している佐治伸郎氏。言語の「意味」とクオリア、そして言語研究とクオリア研究との間には重要な共通点と相違点があるという。両者を比べることで見えてきた、クオリア研究の未来とは?

(聞き手・構成・文責:佐藤喬、特別協力:藤原真奈)

佐治伸郎(さじ・のぶろう)■早稲田大学人間科学学術院 准教授。研究概要は、言語習得・記号コミュニケーションの発達プロセス。著書に『信号、記号、そして言語へ』(共立出版)など。
佐治伸郎(さじ・のぶろう)■早稲田大学人間科学学術院 准教授。研究概要は、言語習得・記号コミュニケーションの発達プロセス。著書に『信号、記号、そして言語へ』(共立出版)など。

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「意味」とクオリアは似ている

言葉の「意味」とクオリアは、とてもよく似ています。

「意味」を定義するのはなかなか難しいのですが、「『赤』の意味は?」と問われたときに、大きく分けて二つの態度があると思うんです。一つは、言葉としての「赤」の意味を追求するスタイル。「赤」という言葉が何に対して向けられているかを問うんですね。僕はこちらの道を選んだので、言語の研究者になりました。

一方で、同じように問われたときに「主観的な経験としての赤さ」を考えることもできますよね。私たちが感じる赤とは一体なんなのか、つまり経験の中身を問うスタイルです。そして、その方向に向かうと意識やクオリアの研究に行きつくのでしょう。

それと、「意味」やクオリアのような「主観的経験」は曖昧模糊としたもので、それぞれ言語学でも心理学でも、科学的な研究がしづらいと考えられてきました。そういう立ち位置もとても似ているように思います。

一方で、重大な違いもあります。というのも、言語研究の世界では、クオリアのような主観的経験はほとんど扱われてこなかったのです。「近代言語学の父」と言われるフェルディナン・ド・ソシュール(1857~1913)以来、いわば言語を人間から切り離して考えてきたのが言語学 の基本的なスタンスでした。

しかし学生時代の僕は、言語学を学びつつ、そういう面には物足りなさを感じていました。ですが同じように考えた研究者もいたようで、僕が学生だった2000年代初頭には、言語を支えている認知能力についての論文が出てくるようになっていました。僕はそういうものを読んで、子どもの言語能力の発達を研究しようと思い、博士課程に進みました。ちなみに、指導教官は言語心理学者の今井むつみ先生です。

「意味」とクオリアは違う

このように「意味」とクオリアには似ているところがあるのですが、言語学の世界では主観的経験やクオリアが研究対象になることはありませんでした。

言語学には 、意味を研究する「意味論」(Semantics:セマンティクス)という分野がありますが、そこで重視されるのは個々の意味どうしの関係と、全体の構造です。たとえば意味論で「リンゴ」と「ナシ」の意味を考えるときには、味が少し違うとか、色が異なるといった差異に着目し、それによって意味どうしの関係をシステマチックに記述しようとします。先ほど述べたように、主観的経験は問題にされませんでした。

言語学で「意味」というと、基本的にはこのセマンティクスを指します。でも、僕たちの日常で言う「意味」は、主観的な経験とは切り離せませんよね。

僕が他者に「リンゴって美味しいよね」というときには、相手もリンゴのあの独特の甘酸っぱさや、歯ざわりの主観的経験を、つまりクオリアを共有していることが前提になっています。それもまた「意味」だと言ってよさそうですが、こういった「意味」の側面は、セマンティクスの研究からは抜け落ちていました。

言語学では「意味」の主観的経験の側面の研究は手つかずだったのですが、90年代から徐々に、こちらの面も考慮した研究が現れ始めました。 しかし、まだまだ発展途上です。だから、主観的経験であるクオリアを直接に研究しようとするクオリア構造学の試みは、とても興味深く思っています。

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新刊紹介

佐藤喬

作家・フリーの編集者。著書に『エスケープ』(辰巳出版)、『1982』(宝島社)、『逃げ』(小学館)など。構成作は『動物たちは何をしゃべっているのか?』(山極壽一/鈴木俊貴、集英社)、『AIに意識は生まれるか』(金井良太、イースト・プレス)ほか。

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