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現象学からのクオリア・意識研究への問いかけ──北海道大学大学院教授・田口茂インタビュー

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「媒介」としての意識とクオリア構造

 これらとも連関していますが、私は意識を「媒介」として捉えると、それをより適切に記述できるのではないかとも考えています。
 「媒介」とは「実体」に対置される言葉です。実体があるとは、他の何にも依存せず、それだけで成り立っているということです。このスマホも、実体があるように思われていますよね。
 しかし、そうではない見方もできます。スマホはそれだけで孤立して、ほかのものから切り離されて存在するのではなく、「手で触れる」「操作ができる」「入力に対して反応する」……といった無数の現われに「媒介された」存在だ、と考えるんですね。そのような色々な現われの交叉点がスマホなのだと。たとえば、「触れられないスマホ」というものは、具体的に存在すると考えることはできません。
 意識もそのように様々なものに媒介される存在だととらえると、実体にこだわるアプローチとは別に、新しいことが見えてくるのではないかと考えています。
 そして、この媒介論と相性がよいと感じているのが、土谷さんたちの「クオリア構造学」です。クオリアを単体でとらえるのではなく、クオリア同士の関係性の網の目の中に位置づけるのがクオリア構造学ですよね。
 赤のクオリアは、単体で成り立っているのではなく、「青からは遠く、オレンジには少し近い」というふうに他のクオリアとの関係から捉えることで、たとえば色のクオリア構造が見いだせるわけですが、それは色というものがまさに「媒介」によって成り立っているということだと言ってもよいと考えています。実体ではなく媒介に着目する発想に近づいていると思います。

意識のねじれたループ

 意識の奇妙な構造を簡潔に言葉で述べるなら、「身体と世界との間のねじれたループ」と言ってもよいのではないかと私は考えています。
 ここで言う「身体」とは世界へのインターフェースであり、脳を含みます。我々は身体があることによってはじめて世界を経験できますよね。現象学的に言い換えると、世界は常に身体に対して現われる、ということになります。
 それはつまり、世界が現われるためには身体が必須であり、世界は身体によって条件づけられているということでもあります。いわば、身体は世界を包み込む面があるということです。
 しかしその一方で、物理的には、身体は世界の一部ですよね。つまり、その意味では身体は世界によって包み込まれている。
 このように、世界を包み、同時に包み込まれているという、「クラインの壺」のような特殊なループが意識なのではないかと考えています。

 意識研究はさまざまな分野の科学者が参加する学際的な試みですが、「意識」という、非常に謎が多いテーマを掲げていることで、異分野の研究者どうしの協同がスムーズに運んでいる印象があります。その中にあって、いわば科学のルールにとらわれない哲学が果たせる役割は小さくないでしょう。

 次回連載第5回は12/4(水)公開予定です。

田口茂(たぐち・しげる)プロフィール

北海道大学大学院文学研究院教授、人間知・脳・AI研究教育センター長。ヴッパータール大学(ドイツ)博士課程修了、Dr. phil.(哲学博士)。山形大学地域教育文化学部准教授、北海道大学大学院文学研究院准教授等を経て現職。専門は哲学、特に現象学、日本哲学、意識の哲学。人間知・脳・AI研究教育センターを拠点として、数学者、神経科学者、認知科学者、AI研究者、ロボット研究者などと共同研究を行う。主な著書としてDas Problem des ‘Ur-Ich’ bei Edmund Husserl (Springer 2006)、『現象学という思考』(筑摩書房、2014)など。数学者西郷甲矢人氏との共著として『〈現実〉とは何か──数学・哲学から始まる世界像の転換』(筑摩書房、2019)などがある。

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新刊紹介

佐藤喬

作家・フリーの編集者。著書に『エスケープ』(辰巳出版)、『1982』(宝島社)、『逃げ』(小学館)など。構成作は『動物たちは何をしゃべっているのか?』(山極壽一/鈴木俊貴、集英社)、『AIに意識は生まれるか』(金井良太、イースト・プレス)ほか。

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