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せきしろ「東京落物百景」
落とし物の数だけ、物語がある――落とされたモノにも、そして落とした人にも。
『去年ルノアールで』『たとえる技術』などの著作で知られる作家せきしろが、東京の街の片隅で、本当に見つけたさまざまな落とし物について考える妄想ノンフィクション。

前回は飼育ケースの落とし物と、その側にあるカマキリの落とし物を発見した著者。

今回は、誰もが見つけることができる落とし物?というか潰れた空き缶からいろいろ考えたようで――

(写真/ダーシマ)

迷惑なゴミだとわかっていても、なぜか見惚れてしまう潰れた空き缶の数々

『自販機専用空容器リサイクルボックス』から続いていく空き缶の行方

自動販売機の横には空き缶を入れるゴミ箱がある(正式には『自販機専用空容器リサイクルボックス』)。穴がふたつあるものが多い。私は喫茶店の窓からそれを見ていた。

空き缶はその穴に入れて捨てるわけだが、時間が経てば当然ゴミ箱はいっぱいになる。特にその日は休日であり、人通りの多いところに設置されていたためにゴミ箱はすぐにいっぱいになった。他のドリンク容器を無理矢理突っ込み、片方の穴を塞いでしまった人がいたのも大きかった。それでも空き缶を穴の中にいれようと力任せに押し込む人が何人か続き、やがて何も入らない状態になった。

すると今度はゴミ箱の上に空き缶を置くようになった。「ゴミ箱には入れていないがポイ捨てはしていない」状態で、しかも「ゴミ箱に接しているから問題はない」と考え、罪悪感を薄めているのだろう。正直気持ちはわからなくもなかった。

ゴミ箱の上が空き缶でいっぱいになると、今度はゴミ箱の周りの地面に置き始める人が出てきた。ゴミ箱の側面と空き缶が接するように置くことによりゴミ箱の上に置くほどではないが罪悪感を減少させているのだろう。

さらにその周りに置いていくようになり、徐々にゴミ箱から離れていくが、他の缶に接して置くことによりゴミ箱との繋がりを維持し、ゴミ箱の領域を勝手に広げて自分を納得させているようだった。

そうやってゴミ箱の領域が横に広がっていく一方、缶の上に積み上げていく人も出現してくる。ゴミ箱の上は缶が積み上げられて上へ上へと伸びていく。その様は山で見かけるケルンのようである。

さらに缶は並べられ、あるいは積み上げられていき、ゴミ箱は違法建築のようにも、ガウディ建築のようにも、ウィンチェスター・ミステリー・ハウスのようにも見えてきた。

もうさすがに缶を置く場所がなくなると「そこはさすがにゴミ箱の領域ではないだろう」と指摘したくなるところに空き缶が置かれ始めた。ゴミ箱からはもう数メートル離れている。しかし缶を倒さずに立てて置き、「これは捨てたのではなく置いただけだ」という謎の考えで、相変わらず罪悪感を減らしているに違いない。

捨てていかれるのは缶だけではなくペットボトルもあり、時折瓶もあるから積み上げたものが不安定になり、積み上げられた空き缶が何かの拍子で倒れて転がった。それを誰かに蹴られる形となって私から見えなくなった。

店を出ると先ほどの缶らしきものがあった。その缶は潰れていた。狭い道を器用に走ってきたバスに潰されてしまっていたのだ。その辺りには2、3個そういう缶があった。

それはどれも同じ形ではない。ただの迷惑なゴミであることはわかっているのだが、私は見惚れてしまった。

潰れた缶。潰された一瞬でその形は決まる。
潰れた缶。潰された一瞬でその形は決まる。
転々と続く潰れた缶。
転々と続く潰れた缶。
潰れた缶は雨との相性も悪くない。
潰れた缶は雨との相性も悪くない。
このタイプの缶もある。
このタイプの缶もある。
これもジュースではない缶。
これもジュースではない缶。
開封されていないように見えるがどうなっているのだろうか?
開封されていないように見えるがどうなっているのだろうか?
飲んだことがないジュースの缶に出会うこともある
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せきしろ

せきしろ●1970年北海道生まれ。主な著書に、映像化された『去年ルノアールで』や、映画化された『海辺の週刊大衆』、『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』(共に双葉社)など。また、又吉直樹氏との共著『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』(幻冬舎)、西加奈子氏との共著『ダイオウイカは知らないでしょう』(マガジンハウス)も。
ツイッターhttps://twitter.com/sekishiro

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