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せきしろ「東京落物百景」
落とし物の数だけ、物語がある――落とされたモノにも、そして落とした人にも。
『去年ルノアールで』『たとえる技術』などの著作で知られる作家せきしろが、東京の街の片隅で、本当に見つけたさまざまな落とし物について考える妄想ノンフィクション。

前回は雨上がりの都内で発見したくなくても目に飛び込んでくる、多数のビニール傘の落とし物を発見した著者。

今回は、夏の終わりを物語る飼育ケースの落とし物と、その側にあるカマキリの落とし物を発見したようで――

飼育ケースとカマキリの玩具の落とし物に秘められた謎を解く

都内で発見した飼育ケースの落とし物。なにやら気になる緑の物体も。(写真/ダーシマ)
都内で発見した飼育ケースの落とし物。なにやら気になる緑の物体も。(写真/ダーシマ)

誰かがここに飼育ケースを落とし、別の誰かがカマキリの玩具を落とした偶然

夏の終わりを感じさせてくれるものといえば、海のクラゲであったり、ベランダでボロボロになっているビーチサンダルであったり、枯れ果てたヒマワリであったり、剥がし忘れられて風化し始めている夏祭りのポスターであったりするわけだが、そのひとつに飼育ケースもある。

9月。道に飼育ケースがあった。まだ夏休みだった頃には昆虫採集をした子どもの昆虫が入っていたのだろうなと想像する。しかし今はなにも入っていない。つまりもう夏ではないのだ。夏の終わり特有のもの悲しさがそこにある。

と思ったら、すぐそばに昆虫がいた。カマキリだ。子どもの頃は平気だった虫がいつしか苦手になっていた私はドキリとし、もしや飼育ケースから逃げ出したのかと思ったが、すぐにそれは玩具であることに気づいた。よく見れば形は本物から程遠いものであるし、色が人工的である。

やがて謎が生まれる。なぜこのような状態になったのだろうか、と。この状態に至った経緯が気になる。

まず思いついたのはこうだ。子どもが道でカマキリを見つけた。昆虫採集中の子どもは捕獲し、持っていた飼育ケースに入れようとした。しかしカマキリは玩具であった。愕然とし、ガッカリした子どもは飼育ケースを持っていくことすら忘れ、立ち去ってしまった。そうしてこの状態が生まれたのはないか。

別の考え方もある。子どもはカマキリが玩具だと知っていた。それも子どもはそのカマキリが気に入っていて、いつも飼育ケースに入れて持ち歩いていた。しかし道で会ったクラスのいじめっ子グループにカマキリを取り出され「お前はニセモノの虫しか捕まえられないのか」とバカにされて、くやしくてここに捨てていった。

あるいは偶然。誰かがたまたまここに飼育ケースを落とし、別の誰かがたまたまカマキリの玩具を落とした。そんな偶然。

しかしどれもしっくりこない。あまりにも出来すぎた状態にも見えるから誰かが意図的にこの状態を作り上げた気すらしてくる。そうだとしたら何故? まったくもって謎である。

謎?

そうか、謎だ。これは謎解きなのだ。

街を歩いていると、謎解きイベントに参加している人たちを見かけることがある。私の最寄り駅である吉祥寺でも見たことがあるし、都心の地下鉄の駅などでも見たことがある。街のどこかにヒントがあって参加者は謎を解いていくのだ。
きっとそれだ。これは何かのヒントなのだ。私はそう結論づけた。

最後にカマキリに関する雑学をひとつ。『燃えろバルセロナ』で有名な日出郎さんは『カマキリのかあちゃん』という曲も歌っている。

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せきしろ

せきしろ●1970年北海道生まれ。主な著書に、映像化された『去年ルノアールで』や、映画化された『海辺の週刊大衆』、『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』(共に双葉社)など。また、又吉直樹氏との共著『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』(幻冬舎)、西加奈子氏との共著『ダイオウイカは知らないでしょう』(マガジンハウス)も。
ツイッターhttps://twitter.com/sekishiro

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