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せきしろ「東京落物百景」
落とし物の数だけ、物語がある――落とされたモノにも、そして落とした人にも。
『去年ルノアールで』『たとえる技術』などの著作で知られる作家せきしろが、東京の街の片隅で、本当に見つけたさまざまな落とし物について考える妄想ノンフィクション。

前回はぬいぐるみの落とし物を発見し、その持ち主に思いをはせた著者。

今回は、雨上がりの都内で発見したくなくても、すぐ目に入ってくるビニール傘の落とし物を多数発見したようで――

(写真/ダーシマ)

こんなに多様なパターンが! 「壊れたビニール傘」の落とし物12連発!

「止まない雨はない」ように「壊れないビニール傘はない」

いつのまにか九月になり、カナブンの死骸をだんだんと見かけなくなった。これからはひと雨ごとに秋が深まっていくだろう。

秋の夜長、雨の音を聞く。しっとりと遠くに聞こえる音もあれば、台風で強く打ち付ける音の時もあり、どこかでしまい忘れられた風鈴が鳴り響くこともある。一方、霧雨の時は雨の気配に耳を傾けることになる。

次の日目覚めるとカーテンの隙間から太陽の光が差し込んでいる。雨の音はもう聞こえない。玄関を開けて外に出ると思った以上の秋晴れで、前日よりも秋を感じる。
風景もより秋になっていて、雨が空気を冷やし、木々の葉の色を変え始めている。アスファルトは落ち葉でところどころ彩られている。

ひと雨ごとに秋が深まっていく、と改めて実感するわけだが、同時にもうひとつ実感することがある。それは「ひと雨ごとにビニール傘が壊れて落ちている」ということ。
雨上がり、歩けば壊れたビニール傘を見つけることができる。強い雨の次の日には壊れたビニール傘がいくつも落ちているものだ。
まったく同じ色の落ち葉が無いように、それらはどれも同じ形をしていない。

風で裏返ってしまったビニール傘。オーソドックスな壊れ方と言えよう。使おうと思えば使えなくもない。

こちらは綺麗に裏返ったビニール傘。こうなると使うのは難しい。

完全に裏返ってしまったビニール傘。使うとしたらステッキとしてだろうか。

一見無傷に見えるが、よく見ると中軸がない。使用するなら傘より「笠」に近くなる。

こちらは持つところしかない。ここまで来ると「傘の部品ではない」可能性も疑わなければいけない。

一見完品に見えて、今度は持つところがない。先ほどの写真のものと奇跡的に一致しないだろうか。

上手いこと草が隠してくれているので壊れているようには見えない。騙されて「ラッキー!」と手にする人もいるはずだ。

骨のみ。手にする人はいなそうだ。

この壊れ方は凶器になった可能性がある。

半分ない。

しおれた花のよう。

地球外生物のよう。

「明けない夜はない」とか「止まない雨はない」とかいう言葉をよく耳にするが、今日から「壊れないビニール傘はない」という言葉が加わってもおかしくないのではないだろうか。

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せきしろ

せきしろ●1970年北海道生まれ。主な著書に、映像化された『去年ルノアールで』や、映画化された『海辺の週刊大衆』、『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』(共に双葉社)など。また、又吉直樹氏との共著『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』(幻冬舎)、西加奈子氏との共著『ダイオウイカは知らないでしょう』(マガジンハウス)も。
ツイッターhttps://twitter.com/sekishiro

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