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せきしろ「東京落物百景」
落とし物の数だけ、物語がある――。落とされたモノにも、そして落とした人にも。
『去年ルノアールで』『たとえる技術』などの著作で知られる作家せきしろが、東京の街の片隅で、本当に見つけたさまざまな落とし物について考える妄想ノンフィクション。

前回は、落とし物の定番のようで、実はあまりないバナナを発見した著者。今回は鞄を発見。落とし物なのか、忘れ物なのか、はたまた――

学校で習う算数が、本当に社会で役立つことがわかった鞄の落とし物

都内の路上にて発見した鞄。落とし物なのか、忘れ物なのか、置いてあるだけなのか、不審物なのか……。(写真/ダーシマ)
都内の路上にて発見した鞄。落とし物なのか、忘れ物なのか、置いてあるだけなのか、不審物なのか……。(写真/ダーシマ)

お金がギッシリ? 爆発物? ドッキリ? 鞄の落とし物には、可能性がいっぱい!

道に鞄がある。私は立ち止まる。

真っ先に考えるのは「もしかしたら中にお金が入っているかも!」ということだ。開けると中には一万円札がギッシリと詰まっている、そんな想像をする。1980 年の『一億円拾得事件』や1989年の竹やぶでお金が発見された事件などを知っている世代なら誰もがそうかもしれない。

しかし、不審物パターンもある。開けた途端に爆発する、なんてことが起きても不思議ではない世の中である。あるいは見てはいけないもの、見なければ良かったものが入っているかもしれないとも思う。事件性があるものだったらその瞬間巻き込まれてしまうわけだし、中身によってはトラウマになってしまうこともあるだろう。

そもそもこの鞄は置いてあるだけかもしれない。その場合、中身を確認しようと開けているところを持ち主に見られてしまったら、あたふたしてしまって、潔白を主張すればするほど怪しくなってしまう自信がある。持ち主が怖い人だったらもう終わりだ。

ドッキリという単語も頭をよぎる。鞄を開けると何かが出てきて驚く私の姿を見るというわけだ。中にお金が入っていて、私がそれをどうするのか、どこかで観察されている可能性もある。

どうやら何もしないのが得策であるようだ。私は歩き出そうとする。

ところがすぐに立ち止まる。落し物だったら誰か困っているかもしれない、そんなことをふと思ったからだ。

しかし鞄を落とす人などいるのか? 落としたとしても気づきそうなものだ。

忘れた、というのはあり得る。たとえば車に積み込むのを忘れて走り出した、などだ。サービスエリアの駐車場に靴だけ残されているようなものだ。

落し物でも忘れ物でも、交番に届けた方が良いだろう。

交番に届けたとして、もしも中身がお金だったらとまた考えてしまう。希望すればお礼で何割か貰えるはずだ。頭で計算し始める。学校で習う数学などなんの役に立つのだろうと若者は思うだろうが、こんな時に役立つ。一万円札の重さは約1グラム。中に1億円入っていたとしたらこの鞄は約10キログラム。プラス鞄自体の重さ。数学が役に立ちまくる。

しかし置いてあるだけの可能性は消えていないことを思い出す。こちらは交番に届けようと鞄を運んでいるのに泥棒と間違えられても、誤解を解きづらい状況になる。

そもそも不審物の可能性も消えていない。動かした瞬間爆発することを想像して怖くなる。やはり何もしないのが得策であるようだ。私は歩き出そうとする。

ところがすぐに立ち止まる。

中身はエスパー伊東かもしれない。そんなことを考え始め、貴重な時間は浪費されていくのだ。

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せきしろ

せきしろ●1970年北海道生まれ。主な著書に、映像化された『去年ルノアールで』や、映画化された『海辺の週刊大衆』、『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』(共に双葉社)など。また、又吉直樹氏との共著『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』(幻冬舎)、西加奈子氏との共著『ダイオウイカは知らないでしょう』(マガジンハウス)も。
ツイッターhttps://twitter.com/sekishiro

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