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せきしろ「東京落物百景」
落とし物の数だけ、物語がある――。落とされたモノにも、そして落とした人にも。
『去年ルノアールで』『たとえる技術』などの著作で知られる作家せきしろが、東京の街の片隅で、本当に見つけたさまざまな落とし物について考える妄想ノンフィクション。

前回は、エクステの落とし物から自宅に眠るファンシーグッズを連鎖的に発見した著者。今回は、持ち主にすぐ返してあげたいお守りを発見したようで――

大切なお守りの落とし物。なのに、なぜか考えたのは社交ダンスと車!?

都内の路上にて発見した「成田山調布不動尊」のお守り。枯れ葉と一緒で哀愁3割増し!(写真/ダーシマ)
都内の路上にて発見した「成田山調布不動尊」のお守り。枯れ葉と一緒で哀愁3割増し!(写真/ダーシマ)

お守りを落とすことが、縁起の悪いことかどうかもわからない……。

私は社交ダンスに触れたことがない。そのため社交ダンスについて考えることはほとんどない。ウッチャンナンチャンの番組で社交ダンスのコーナーを見た時や映画『Shall we ダンス?』のことを思い出した時などには少しは考えるが、それは僅かな時間である。

また、車についてもほとんど考えたことがない。幼少期にいわゆる「働く車」が好きだったり、中高生くらいで車やバイクに興味を持ったりすることがなかった。おまけに運転免許も習得していなくて、車に関しては無知だ。あまりにも何も知らな過ぎるためか、気づくと走る車の運転席にいてどうしたら良いかわからなくて焦ってしまうという夢をたまに見る。なんとか切り抜ける時と、事故を起こしてしまう時があって、どちらにせよ目覚めて「怖かったなあ」と思う。車について考えるのはその時くらいだろうか。いや、最近は「もしも田舎に住むようになったら車がないと大変かも」と漠然と考えることもある。とにかくこちらも僅かな時間であることには変わりない。

同様に神様に関しても考えたことがほとんどない。初詣や観光で神社仏閣を訪れ、その際にお参りする時くらいであろうか。ひどい二日酔いになった時に気持ち悪くて仕方なくて「もう二度とお酒を飲まないので助けてください。お願いします!」などと思うことがあり、その祈りは神様に向けたものなのかもしれないから、それも神様について考えている時間になるだろう。急な腹痛の時もそれがある。

また「バチ」についても考えることがあって、神社の境内を歩いている時に何かに躓いたとして、それが神社の大切なものだった場合にバチがあたるんじゃないかと思うことがある。それも神様について考えていることに含まれるかもしれない。とはいえ、それくらいのものなのであり、これまた無知なのだ。

そのため、お守りを落としてしまうという行為は、持ち主にとって悪いことなのか、それともお守り的には何も問題ないことなのかはわからない。故意に捨てたのならばまた話は別だろうが、そうでなければマイナスになることではないと思いたい。

いずれにせよ、持ち主にとって大切なものであったことは間違いないはずだ。私は目の前のお守りを見続けて、持ち主が元気でいることを願った。

社交ダンスについても車についても神様についても、考えることなどほぼないが、道に落ちているものに関しては考える時間が異常に長い。そんなことを改めて実感させてくれる落とし物であった。

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せきしろ

せきしろ●1970年北海道生まれ。主な著書に、映像化された『去年ルノアールで』や、映画化された『海辺の週刊大衆』、『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』(共に双葉社)など。また、又吉直樹氏との共著『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』(幻冬舎)、西加奈子氏との共著『ダイオウイカは知らないでしょう』(マガジンハウス)も。
ツイッターhttps://twitter.com/sekishiro

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