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22億円の横領疑惑とともに海に消えたJA職員の謎を追え! 人口3万人の島で4000人の保険契約を取った“神さま”の死

過酷なノルマと「自爆営業」

 著者の窪田新之助は、JAグループが発行する日本農業新聞の記者出身のジャーナリストで、過去に『データ農業が日本を救う』『農協の闇』といった農業に関する著書がある。農業に精通する彼はこの事件に興味を抱き、対馬に飛ぶ。そして現地で西山の関係者を訪ね歩き、丹念に取材を重ねる。

 対馬は小さな島だ。そこで疑惑の男の話を聞かせてほしいと頼み込んだところで、誰もが気さくに応じてくれるわけではない。それでも窪田は、粘り強く足を運ぶ。そうして、少しずつ真相が明らかになっていく。例えば……と具体的な内容に触れる前に、約19万人の職員(窪田による取材当時)を有する巨大組織JAについて簡単に説明しよう。

 本書によれば、JAの事業は大きくふたつに分かれる。ひとつは、組合員である農家から作物を集めて市場に卸すなど農業関連の「経済事業」。もうひとつは、「金融事業」。JAバンクを通して預貯金の受け入れや融資を行う「信用事業」と、JAが商品化している生命保険や損害保険を売ったりする「共済事業」を合わせて「金融事業」と呼ぶ。

 農業というとふんわりとした印象があるが、組織としては大企業と変わらない。全国のJAを指導、監督する全国農業協同組合中央会(JA全中)を頂点とするピラミッド型組織になっていて、最下層が各地域のJAにあたる。

 西山が働いていたJA対馬の上対馬支店を、企業の営業所のような位置づけで捉えるとわかりやすい。上意下達でノルマが課されるのも企業と同じで、末端の営業所(JA上対馬など)はその達成率で評価される。

 本書を読んでいて驚いたのは、JAの本業ともいえる農業関連事業は北海道を除く都府県の約9割のJAが赤字に陥っているということ。JAを支えているのは、金融事業なのだ。言い換えれば、金融事業なくしてJAは成り立たない。そのため、各支店は銀行口座の新規開設や保険の新規契約などが求められる。このノルマは過酷で、窪田は「自分や家族が不必要な契約を結ぶ『自爆』と呼ぶ営業を強いられている」と記している。

 この現状を知ると、西山の存在感の大きさが際立ってくる。先述したように、西山はLAになった1997年からおよそ20年間、圧倒的な成績を残し続けた。本書によると、さらにその実績を惜しみなくほかの職員に分け与え、ノルマ達成を助けてきた(それが可能な構造になっている)。それが正規の手続きを踏んだ契約なら、美談。しかし、常識的に考えれば、毎年ひとりで支店のノルマを背負い続けるなんて、現実的ではない。

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22億円超を横領した男の奇妙な人物像

 LAとして保険契約を知り尽くす西山は、あの手この手の裏技を使って、契約を積み上げていく。その契約金はどうしたのか? 損害保険を契約している建物の被害を捏造し、共済金(保険金)を横領していたのだ。このお金が保険契約の原資になり、新たな保険でさらなる横領を重ね、雪だるまのように膨れ上がって22億円を超える。

 具体的な手口については、本書を読んでほしい。とてもわかりやすく書かれていて、疑問の余地はない。それにしても、この大掛かりな仕掛けを西山ひとりで? と疑問を抱いた著者の窪田は、謎解きに挑む。

 本書の見どころは、盤上が白一色のオセロを一枚、一枚ひっくり返していくような著者の取材を追体験できること。とぼける人、口を閉ざす人、口を滑らせる人もいれば、窪田の背中を押す人もいる。そうして次から次へと関係者に話を聞いているうちに、盤上が真っ黒になっていることに気づく。窪田が探偵のように真実を解き明かしていく様子は、とんでもなくスリリングだ。

 興味深いのは、窪田が明らかにしていく西山の人物像。眉毛を逆八の字型に剃る「ヤンキー眉」で、髪型は緩いパンチパーマ。高級腕時計や車を買い集め、取り巻きの「西山軍団」を連れて連日豪遊していたというから、ど派手なヤクザのような人物像が思い浮かぶ。

 ところが、誰にでも優しく、飲み屋では酔って騒ぐこともなく物静かで、魚にも肉にも手を付けず、ベビースターラーメンと蛸のから揚げをつまむ程度という証言も出てくる。最も奇妙なのは、西山がマンガ『ワンピース』に夢中になり、100体を超えるフィギュアを買い集めていたという話だ。海賊王を目指す主人公のルフィは、仲間を集め、大秘宝「ワンピース」を狙って航海に出る。

 西山は、金融事業を担当するJA対馬の職員に「俺の軍団に入らないか」と声をかけていたという。窪田は、自分をルフィに重ねていたのではないかと推察する。こういうエピソードを知ると、一筋縄ではいかない人間の複雑さと面白みを感じる。これぞ、小説にはないノンフィクションの醍醐味だろう。

 対馬のルフィは、巨額の財宝を手にした。しかし、現実世界で、海賊は捕まってしまえば犯罪者である。犯した罪が露見しそうになった時、対馬のルフィはすべてを抱えて海に飛び込んだ。ともに航海した仲間たちは蜘蛛の子を散らすように沈没船から逃げ出し、何事もなかったかのように今も対馬で暮らす。

JAと同様の闇を抱える日本郵政

『対馬の海に沈む』は、西山義治という個人に焦点を当てているが、共済事業に依存するJAが抱える闇の話でもある。

 実は、JAのほぼ倍、約37万人の職員を有する日本郵政も同じようなダークサイドがある。赤字の郵便事業を補填するため、保険や貯金の金融事業が重視され、過大なノルマを課された現場の職員が悲鳴を上げているのだ。

 次回は『ブラック郵便局』を紹介する。

 ……読者の皆さん、ノンフィクション好き軍団に入りませんか?

撮影:川内イオ
撮影:川内イオ

次回は2026年1/22(木)公開予定です。

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新刊紹介

川内イオ

かわうち・いお
ライター/稀人ハンター
1979年生まれ。ジャンルを問わず「世界を明るく照らす稀な人」を取材し、多彩な生き方や働き方を世に広く伝えることで「誰もが個性きらめく稀人になれる社会」の実現を目指す。
趣味は読書で、ノンフィクションが大好物。
『農業新時代 ネクストファーマーズの挑戦』『農業フロンティア 越境するネクストファーマーズ』(文春新書)『ウルトラニッチ 小さな発見から始まるモノづくりのヒント』 (freee出版)など著書7冊。2023年3月より「稀人ハンタースクール」を開校し、国内外のスクール生とともに稀人の発掘を加速させる。

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