2024.6.1
ビッグな先輩が教えてくれたスペシャルな「広島焼き」
そんなFさんのもうひとつの散財先が飯でした。Fさんは食いたい時に食いたいものを食う、というのがポリシーの孤独のグルメだったのです。最も足繁く通っていた店は、とある有名な京料理の店で板長を務めたこともある大将が、半ば趣味のように営む小料理屋さんでした。
「いやもうこれがさ、何食ってもびっくりするくらいうまいんだよ。そのかわり安くはないんだけどさ、でも俺、酒はビール1本くらいしか飲まないし、女将さんが俺には丼で飯出してくれるから、支払いはせいぜい5000円くらいかな」
言っておきますがFさん当時20歳です。日常の晩飯に5000円は明らかに間違っています。
「この間はその店でてっさ(ふぐの刺身)があったから頼もうとしたら、さすがに大将に止められてさ。『学生さんが食うもんちゃう』って。まあ後からこっそり2枚だけサービスで出してくれたんだけど、あれ普通に注文通ってたら、さすがに万行ってたんだろうなあ」
授業には出ず、バイトもせず、数十万の借金をギャンブルで返済しつつ、まるで学生食堂か何かのように気が向いたらふらっと小料理屋へ。なんだかもはや一周回って聖人か偉人のようにすら思えてきます。そんなFさんが、ある日僕たちを珍しく飯に誘ってくれました。
「こないだ偶然入った店でめちゃくちゃうまいお好み焼き見つけてさ、世の中にこんなお好み焼きあるのかってびっくりしちゃったんだよ。ちょっと今からみんなで行こうぜ。大丈夫大丈夫、お好み焼きだからそんな高くないし、何なら俺が半分出すわ」
我々は、こんな危なっかしい聖人に自分達のせいで更なる散財を促すわけには行かぬ、と「半分出す」のだけはきっちりお断りした上で、10人くらいでその店に向かうことになりました。
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店に着くと、中央に置かれた大テーブルが運良く空いていました。そこからは厨房内の大きな鉄板がよく見えます。そこではどうも先客のお好み焼きや焼きそばが焼かれつつあるようでしたが、その光景は、お好み焼きというよりは今まで見たことのない何かでした。
見るからにサラッとした生地が、まず生地だけで鉄板に薄く広げられる様は、まるでクレープのようでした。そしてそこに千切りキャベツが載せられるのですが、驚いたのはその量です。それは薄い生地の上に文字通り山のように積まれました。もはやサラダか何かにしか見えませんし、もしそれがサラダとして出されたら、どんなドレッシングがあったとしても食べ切るのはなかなか大儀そうです。
しかもそのキャベツの上から更に、何やら細々したものともやしと肉も重ねられます。生地も少し追加されます。半ばポカーンとしつつ見守っていると、キャベツは鉄板からの熱で少しずつ沈んでいき、それが鮮やかなヘラ捌きでひっくり返されると、ようやく少しお好み焼きらしくなりました。しかしほっとしたのも束の間、てっきり別の料理だと思っていた焼きそばまでそこに重ねられ、卵も重ねられ、その分厚いお好み焼きはようやく完成したようでした。
Fさんが「世の中にこんなお好み焼きあるのかってびっくり」したのはそういうことだったのか、と僕はその時点で既に納得し、Fさんに対する「計り知れない男」という以前から抱いていたある種の畏怖混じりの尊敬は、ますます強固なものになりました。
だいぶ時間が経って、我々の前にも次々と、焼き立てのお好み焼きが運ばれてきました。僕は店の軒先に吊るされていた大きな赤提灯に黒々と大書された文字を思い出し、
「へえ、これが広島焼きという食べ物なのか……」
と、その邂逅を噛み締めました。ひたすら色々なものが重ねられたそれは、最終的には、一応形状としてはお好み焼き的な何かにはなっていました。しかし食べ始めてすぐに、僕はその納得を打ち消しました。
「何だよこれ!? お好み焼きとは完全に別物じゃん!」
もはやそれは感動と言っていいものでした。それはとにかくべらぼうにおいしかったのです。こんなものを偶然探し当てるなんて、Fさんやっぱり計り知れねえなあ、と僕はまたまた感服しました。
そのFさんはというと、自分から誘ったくせに「俺今日はあんまり腹へってないんだよね」と言いながら、自分だけビールを飲みつつ「とんぺい」をつまんでいました。しかし我々が食べ始めて口々に感嘆の声を上げると、いかにも満足げでした。
「なあ、めちゃくちゃうまいだろ? 広島焼きって」
次回は6/15(土)公開予定です。
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