2024.8.5
離婚調停の始め方【逃げる技術!第20回】まずは話し合い
イラスト/藤井セイラ 監修/太田啓子弁護士(湘南合同法律事務所)
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「離婚は3年かかる」というけれど
今回から、いよいよ離婚調停について書きます。児童相談所や自治体の勧めもあって「夫から逃げよう。離婚しなくちゃ」と思ったのですが、すぐ調停を起こしたわけではありません。
いま、2024年度上半期に放送中のNHKの朝ドラ『虎に翼』では、主人公の寅子が家庭裁判所で働いていて、離婚調停のシーンも出てきます。当時といまとでは異なる部分もありますが、ご覧になっている方は思い浮かべていただけるとわかりやすいでしょう。
わたしも実際に体験するまで全然わかっていなかったのですが、調停というのは訴訟(裁判)の一歩手前の状態です。ざっくりいうと以下のように段階をふみます。
①話し合いでまとまれば「協議離婚」!日本の離婚の約9割がこれ。
②話がまとまらない場合、片方が家庭裁判所に離婚調停の「申立」をする。
③申立から調停の開始までは1〜2ヶ月ほど。家裁の混み具合によるので地域差がある。
我が身にふりかかるまでは「離婚調停」と聞くと、それを起こせばすぐ完結!すぐ終了!というイメージを抱いていたのです。
でも、全然違っていました。調停には時間がかかるのです!
とてもストレスフルで、数回目には調停の日の朝にベッドの中で金縛りにあうようになりました。
調停などやっていられない、一刻も早く離婚したいと考えて(また配偶者からの差し迫った暴力にさらされるなどして)、納得のいかない条件だけれどもスピードを優先して協議離婚で済ませる人もいるそうです。ですから、協議離婚だったからといって、かならずしも円満離婚だとはいいきれません。
では、なぜ調停には時間がかかるのでしょう? それは次のような理由のためです。
①離婚調停の回数は事案により、1、2回で終わることもあれば1年以上続くことも。間隔は1〜3ヶ月。
②調停で条件がまとまれば「調停離婚」が成立する。調停全体の半数以上がこれ。スムーズならここまで半年強のはずだが、家裁のキャパシティ不足には地域格差があり、1年以上かかる場合も。途中で申立人が「取下」ることもある。
③調停が「不成立」になれば、「離婚訴訟(裁判)」を申し立てることもできる。
こういう経験値のない出来事にぶつかるにあたっては、いろんな人の話を聞いたほうがいいと思っていたので、決心がついたあとは親しい人たち(といっても交友関係は制限されていたので、どの人とも数年から10年ほど疎遠でした)に順々に、少しずつ、「実はこんな事情になっていまして、離婚しようと思います!」とLINEやメッセンジャーで順に送っていきました。
男性の反応はさまざまでしたが、おもしろいことに、年配の女性たちの反応は一様でした。
みな口々に「離婚は時間がかかるわよ〜」「3年はかかる。わたしの友達もそうだった」「負けちゃダメよ」「心を強く持つのよ」「前進あるのみ! 絶対に後ろはふりかえっちゃダメ」「情けをかけたら終わり」といいました。なにをおおげさな……と、内心「はいはい」と聞いていましたが、実際、その通りでした。先輩の話はためになります。
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いよいよ調停へ? その前に話し合い
まず、わたしは家出するときに夫あての文書(弁護士による受任通知の写し)をクリアファイルに入れて、寝室に置いて出ました(第19回参照)。その中に、自分の考えるゴール(夫婦の進化形)も書いておきました。わたしが当初考えて提案していたのは、このような関係です。
・子どもはこれまで通りわたしが育てるので、育児にかかる実費は負担してほしい(こちらの収入と按分負担)
・父子の交流は、公園で遊ぶ、室内でボードゲームをする、PTA行事に参加するなど
・今後は、子どもの親同士として、新たなパートナーシップを築きたい
どうでしょうか。単に「別れたい」と伝えるだけでなく、後半のふたつでは離婚後の関係性についても提案していて、悪くないアイデアなのではないかと思います。
実際、このような関係で離婚後もうまくいっている家庭も多数あると思います。
子どもと父親との交流案については、実際に子どもに聞いて出してもらいました。「どんなふうだったらお父さんと遊んでもいい?」とたずねて出てきたのが上記の案だったのです。
父親はフリートークになるとすぐにいばりだすし、他人の目のないところでは母親の悪口をいったり意地悪をしてきたりするので、そういう環境にならないようにと、子どもたちが知恵をしぼったのが
・ボードゲーム=父親の思いつきより上位概念の「ゲームのルール」が存在する
・PTA活動=他の大人や教師の目がある、学校の管理下にある
という3案だったのでしょう。裏がえせば、父親は「一緒にいる上で警戒の必要な人物」だったということでもあり、「ああ、これまで我慢させてしまっていたのだな」と反省しました。
と同時に、当時は6歳、3歳と、幼いながらも今後のつきあい方についてしっかり考えているなとも思いました。この時点では、子どもたちも「父親とは絶対に会いたくない」と考えていたわけではなかったのです。ただ、その気持ちは、父親の態度の悪さゆえにしだいに変容していくこととなります。
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