2024.5.6
教育虐待を知っていますか?【逃げる技術!第14回】子どもの意思を大切に
イラスト/藤井セイラ 監修/太田啓子弁護士(湘南合同法律事務所)
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前回は、身体的DVの場合には整形外科にかかるのがよい、という話をしました。また「殴る・蹴る」だけでなく、休ませない、転ばせる、慢性的な過労を強いる、薬を飲ませない、あるいは過剰に飲ませるといったことも、暴力の一部だ、ということもお話ししました。
これまで何度もふれてきたように、DVには身体的暴力のほかにも、経済的暴力や精神的暴力など、さまざまなものがあります。今日は子どもへの精神的暴力ともいえる教育虐待について書きます。
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子育てについての細かい叱責、命令
夫と一緒に暮らしていた頃、子どもとの会話についても「セイラのその言い方はおかしい」「甘やかしすぎだ」「まるでなってない」「教育上(お前は)ダメなことばかりしている」などと、わたしは毎日のように叱責されていました。
するとだんだん、夫が家にいるあいだは自然な会話ができなくなってきてしまいました。つねに「夫に聞かれている/ジャッジされていること」を意識して、頭の中でセリフを考えてから読み上げるような状態です。
最後の数年は、夫が家にいるときにだけ軽度の吃音(繰り返し)も出るようになっていました。夫に話しかけようとすると、例えば「あ、あ、あ、あの……、が、が、が、学校の……」と言葉がつっかえます。すると「何? さっさとして」「俺は忙しいんだよ?」といわれてしまい、ますますおどおどしてしまうのでした。
夫は、わたしにとっては会社でいう「決裁者」でした。日常のいろいろな支出、外出、行動などについて「決裁」を求めなくていけませんから、いつ、どのタイミングで話しかければ提案が通りやすいのか、機嫌のよさそうなときはいつなのかを見はからって、思い切って声をかけるようになっていました。窮屈な暮らしだったなぁ、といまふりかえって思います。
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子どもの習い事の種類や時間数は、すべて夫が決定
子どもの習い事も、習わせるものと辞めさせるもの、コマ数などすべて夫が決めていました。「子どもの意見を聞くな!」「子どもに決めさせるんじゃない!」「(お前は)すぐ子どもの話を聞くからダメなんだ」というのが口癖で、親が一方的に決めて厳しくしつけることこそが重要なのだ、それこそが親の責任だ、というのが彼の方針だったのです。
ただ、実務はすべて丸投げでした。教材や持ち物の用意、子どもをなだめすかして連れていくこと、真夏も、雨の日も雪の日も、遠くまで送り迎えをすること、すべてがわたしの仕事でした。
「泣いても叫んでも、引きずってでも習い事までは連れていく。それが親の仕事だよ」といわれてわたしも「はい」と返事をしていました。よく考えたら、夫も親なので、少しは分担してもよかったのに、と思います。
また、やりたくないことをやらせる反面、子どもが「お願い、これだけは続けさせて」と泣いて懇願する習い事を辞めさせるのです。いまふりかえれば、「子どもに自分の命令を受け入れさせる」ということ自体に目的があったのではないか、と感じます。
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教育熱心ではなく、教育虐待になっていませんか?
当時の我が家の習い事の状況は、最近耳にするようになった「教育虐待」といってよいものだったと思います。
夫が、子どもに何を習わせるのかを厳格に決めるようになったきっかけのひとつに、子どもの小学校受験がありました。あとから知ったのですが、彼はどうしても職場にいる誰かのお子さんと同じか、それよりも有名な小学校に入れさせたかったようです。
なお、この概念を日本で初めて学会で提唱した臨床心理士の武田信子さんによると、教育虐待とは「親(保護者)が子どもの心身が耐えられる限界を超えて教育を強制すること」だといいます。(出典: https://www.nhk.or.jp/minplus/0121/topic070.html)
教育虐待とは、子どもの心身の限界を超えて教育を強制すること。
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