よみタイ

パンツを穿いた土偶とDNA

 周囲の女性たちを思い出してみると、もとからスタイルがよい美人は、三十代後半から体型の崩れにぎょっとして、様々な努力をしていたようだ。高価な補正下着を着用している人もいたし、はやりはじめたエステティックサロンに通う人も出てきた。自然現象にあらがおうとする努力である。私は二回、話のタネにと行ったことはあったが、それだけでやめてしまった。私はその頃から、特に大きいわけでもないのに乳が垂れ、腹が出はじめたが、特に何もしなかった。当時は服のサイズも豊富ではなく、フリーサイズのデザインも少なかった。腹が出ているために、スカートのサイドポケットの口がちょっと開くのも、こういうものだと思っていた。補正用のハードなものではなくても、胸を上げたり、下腹や太腿ふとももを締めたりする効果をうたっている下着を着けている人たちも多くいたが、私はとてもそれを身に着けて生活することはできなかった。
 ガードルも一度、穿いたことがあったが、あまりの圧迫感に、会社で仕事をしていても、すぐに家に帰って脱ぎたいと、そればかりを考えていた。そして家に帰ったとたん、
「こんなきっついものを穿いて、暮らせるかっ」
 と頭にきてすぐに脱ぎ、捨ててしまった。しかし体のラインを整えるために、これを日常的に穿ける人がいるとわかって、その根性と努力に感心した。それは身長を高くみせるハイヒールでも同じだった。背が低い私には、いちばん必要なアイテムだったかもしれないが、どうもなじめなかった。口には出さないけれど、こっそり容姿や美に努力している人は大勢いるのだ。
 若い人だけではなく、体型が崩れてきた私と同年配の女性たちも、努力している。姿勢が悪くなってきたからと、姿勢矯正用の肌着を着けている人がいた。『巨人の星』の星飛雄馬が装着していた、大リーグボール養成ギプスのバネほどではないが、両腕の付け根の前側から背中にかけて縫い付けられた幅広のゴムが背中で×状になっていて、後ろから引っ張って前屈みにならないしくみになっているという。彼女は太ってもいないし、いつも姿勢がよくすっきりとしている。その陰にそんな肌着が存在しているとは想像もしていなかった。彼女からカミングアウトされるまで、全然、気がつかなかった。

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群ようこ

むれ・ようこ●1954年東京都生まれ。日本大学藝術学部卒業。広告会社などを経て、78年「本の雑誌社」入社。84年にエッセイ『午前零時の玄米パン』で作家としてデビューし、同年に専業作家となる。小説に『無印結婚物語』などの<無印>シリーズ、『散歩するネコ れんげ荘物語』『おネコさま御一行 れんげ荘物語』などの<れんげ荘>シリーズ、『今日もお疲れさま パンとスープとネコ日和』などの<パンとスープとネコ日和>シリーズの他、『かもめ食堂』『また明日』、エッセイに『ゆるい生活』『欲と収納』『よれよれ肉体百科』『還暦着物日記』『この先には、何がある?』『じじばばのるつぼ』『きものが着たい』『たべる生活』『これで暮らす』『小福ときどき災難』『今日は、これをしました』『スマホになじんでおりません』、評伝に『贅沢貧乏のマリア』『妖精と妖怪のあいだ 評伝・平林たい子』など著書多数。

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