2022.6.29
着物の手入れとセルフレジへの当惑
ずいぶん前の冬、着物で会食をした際、ある人が遅刻をした。遠方から来るし、いつも着物を着ているわけではない。それは時間がかかるだろうと待っていたら、汗をかきながら無事に到着したのはいいが、ずっと衿元を手で隠している。どうしたのかと聞いたら、「朝、襦袢を出してみたら、衿が汚れていた」という。正絹の襦袢は、着用したまま、手入れをせずに何年も放置していると、目に見えなかった汗や汚れがしみついてしまい、そのようなことが起こる。
あせった彼女は、半衿を取り替えなくちゃと思ったのはいいが、半衿がどういうしくみでついているかを知らずに、襦袢の地衿ごと鋏で切り取ってしまった。それに気づいた同居しているお母さんが、ものすごく怒りながらも、得意な洋裁の腕を活かし、洋裁用の綿の芯地を使って、とりあえずミシンで、かわりになるものをくっつけてくれた。そしてそこに半衿をつけてきたというのだった。付け焼き刃なので、衿元は波打ってはいたが、見えているのは二センチほどなので、
「気にする必要はないわよ。首にマフラーが巻ける季節で、本当によかったね」
とみんなで慰めて食事をして散会したのだった。
半衿をつけるときに、いつもこのことを思い出す。半衿を替えるのに、いきなり襦袢の地衿ごと切っちゃうのもすごいが、それをものすごい勢いで直したお母さんの洋裁の技術もすごい。着物というものが日常から離れてしまうと、想像もできない様々な出来事が起こるのが面白い。日常的に慣れていないために、トラブルが起こったときに、どうしていいのかわからなくなるのだろう。
私は着物が好きなので、本を読んだり、自分で着たりして、和装に関してはある程度のことはわかっているつもりだが、彼女にとっては、着物は非日常のものである。慣れている分野の事柄だから、慣れていない人に対して、なんでそんなことをするのかといえるけれど、たまたま私が知っていただけで、彼女がそれを知らなかったからといって、見下すようなことでもない。私が知らない分野の事柄を、彼女はたくさん知っているはずなのだ。