2026.5.1
比嘉啓登 大手商社勤務を経て松下政経塾に入塾。34歳で地元・沖縄で市政へ 【実録・メンズノンノモデル 第6回 前編】
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大規模な海外プロジェクトをこなす商社マンから、松下政経塾へ
「なにを目的にして、どのように人生を進めていくのか」。自分なりの答えを模索する中で、大学院在学中に自らの意思でメンズノンノモデルを卒業。彼の卒業を記念して、誌面では特集ページも組まれた。専属モデルの新しい門出に特別なファッションストーリーが企画されることは今ではめずらしくないが、当時のメンズノンノでは異例のことだった。
比嘉 メンズノンノの専属モデルとして3年半活動する中で、たくさんのご縁と経験をさせていただき、本当にありがたく、今でも感謝しています。最後の撮影の日は、読者の皆さんと編集部の方々へのメッセージを書きながら、「ああ、憧れて始めたメンズノンノモデルに区切りをつけて、これからは社会の中でなにを目的にして、どのように人生を進めていくのかを自分で考えていかなければいけないんだ」としみじみ感じました。

そして、リーマンショック後の就職氷河期ではあったものの、比嘉は総合商社大手の三井物産に進むことになる。人々の生活を形づくり、支えていくインフラ事業に興味を抱いての志望で、2011年の入社直後から比嘉は、アメリカで鉄道貨車リース事業管理に従事しながら経験を積み、その後、インドネシアやインドを中心としたアジア諸国での様々な事業に携わっていく。中でもインドネシア初の地下鉄プロジェクトは、同社でのキャリアを象徴する仕事となった。
比嘉 「ジャカルタMRT(ジャカルタ都市高速鉄道)」のプロジェクトには、入札から携わることができました。メーカーやエンジニアリング会社とコンソーシアム(=企業連合)を形成し、主に入札に向けた書類作りや各社とのパイプ役を担当。チームで最若手ということもあって社内の先輩方からも、取引先の先輩方からも愛のあるお叱りをたくさんいただきながらではありましたけれど、それでも時には「競合に勝つためには絶対こうすべきです!」なんて啖呵も切りつつ、若いなりに頑張ったつもりです。プロジェクトが成功し、当初は不利だと言われる中で受注が決まったときは、日本の鉄道というもの作りを通じてインドネシアの人々の生活に寄与できることに、本当にやりがいを感じました。今でも、ジャカルタMRTが走る姿を見ると感慨深いものがあります。
「人生は自分が思っているよりもずいぶん短い」ということ
その後、船舶事業への参画を経て、28歳で三井物産を退社。ジャカルタMRTのプロジェクトに携わる中で、「政策」によって都市や地域社会が大きく変わっていく様を目の当たりにし、「地元・沖縄に貢献したい」という思いがじわじわ強まってきたことがきっかけだったという。「こうだ」と決めたら、迷うことなくその方向に“全振り”する。思えばメンズノンノモデル時代から、要所では自分の意見をはっきり口にする、その決断力や胆力の片鱗は見せていた。
そしてもう1つ、比嘉には大きなきっかけがあった。
比嘉 実は会社を辞める1年ほど前、姉の死をきっかけに、「人生は自分が思っているよりもずいぶん短い」と実感しました。そこから、自分の原点とか、それまでの歩みの中で、考えている時間が最も長いこととかを振り返ってみると、たくさんの思い出や生き方・考え方を教えてくれた地元・沖縄のことがさらに頭に思い浮かんできて……。
悶々としている中で、本当にたまたまなのですが松下幸之助翁の「道をひらく」という本が手元にあって、その本の一番はじめに書かれている詩のなかにある、
「道」
“自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。”
という一節に心を奪われてしまって。気がつけば会社を退社して、2016年4月から松下政経塾にお世話になることになったんです。
パナソニック創業者である松下幸之助氏が1979年に設立した公益財団法人である松下政経塾では、3年半にわたって、座学や国内外での現場研修において社会貢献事業者としての土台を作りながら自身を鍛え上げた。
比嘉 政経塾では、自分の中でいろいろと方向性を模索しながらもがいていました。政治や経営に関して手取り足取りで教えてもらう環境ではなく、「自修自得」という精神のもとで、日々の生活がありました。松下幸之助翁が言った逸話として、“教え上手の刀鍛冶からは数多くの一人前の鍛冶屋が生まれるが、決して名人は出ない。名人は何も教えてくれない刀匠の鍛冶場から生まれる”というものがありますが、まさに自分で考えて自分で行動することが求められました。それまでは、学校や大手商社など帰属するアイデンティティや役割期待がある程度与えられる環境から逸脱し、自分で考えて自分で行動する毎日を送ることは、想像していた以上に苦しく、また一方で人生の中で学びに繋がったと思っています。経営や政治の現場で悩みながら進む中で、在籍3年目の2018年、地元に戻って、経営に苦戦していた名護市の動物園「ネオパークオキナワ」の事業再生に、経営企画部長として携わることになりました。厳しい財務状況や施設の老朽化、従業員の士気低下などさまざまな課題と向き合いながら、当たっては砕けての繰り返しでしたが、この時の経験は、間違いなく今の自分の礎になっています。
その地元・沖縄での再生プロジェクト参加を機に、比嘉啓登の人生は大きく動き出していく。
(5月2日(土)午前9時公開の後編に続く)

PROFILE
1987年生まれ、沖縄県出身。芝浦工業大学工学部建築工学科在籍中、2006年に第21回メンズノンノモデルに選出。2010年途中まで在籍し、その後、首都大学東京(現・東京都立大学)大学院を卒業して2011年に三井物産株式会社に入社。主にアジア担当として、インドネシアなどでの大型プロジェクトに携わる。2016年に三井物産を退社、公益財団法人松下政経塾に入塾。卒塾後、2018年から2019年にかけて観光施設「ネオパークオキナワ」の経営企画部長を務めた後、三井物産への再就職を経て2021年8月に那覇市市議会議員に選出。現在2期目を務めている。
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後編(5月2日午前9時公開)に続きます
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