2023.10.26
モデルの名前が失われても残るもの 第11回 カンヴァスをはさんで画家が対話する肖像
歴史や神話上の人物になぞらえて描くことは、女性をモデルとした肖像画でも人気の手法であった。中にはジョルジョーネの「ラウラ」のように、同じ名前の女性たちを投影することもある。この「絵画的役割」によって、彼女たちの美や徳がよりはっきりと観る者に伝えられるとされてきた。
十六世紀イタリアの画家ロレンツォ・ロットには、幾つもの見事な肖像作品があるが、その中に〈ルクレツィアに扮した女性の肖像〉(一五三〇―三三年頃)という美しい扮装肖像画がある。殺風景な室内に佇む若い女性がいる。彼女は金糸の刺繍のあるヴェールと鮮やかな緑と橙色のドレスをまとい、大きく開いた胸元には何重にも束ねられた金鎖と大粒のルビーや真珠が象嵌された黄金のペンダントが挟み込まれている。頭の周りを巻き毛とリボンで囲んだ髪型は、十六世紀当時の既婚女性によく見られるものだった。
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一説によれば、モデルとなった女性は、一五三三年にペーザロ家と婚姻関係を結んだルクレツィア・ヴァリエとのことである。彼女はボルドー色の布に覆われたテーブルのそばで、幾つかの象徴的なものに囲まれている。その左手が掲げるのは、古代ローマの貞節な女性ルクレツィアの自害を描いたものだ(1)。伝説によれば、王政末期、ローマ軍がアルデア市攻略の戦役にルクレツィアの夫も参加していたという。軍を率いる王子セクストゥスがこの女性に横恋慕し、夫の留守中に彼女を脅して凌辱した。彼女は自らの潔白を証明するために、父と夫にすべてを告げた後、短剣で自らの胸を突いて死を選んだ。この誇り高い女性は、貞淑さの理想像としてよく描かれるようになる。アルテミジア・ジェンティレスキの〈ルクレティア〉(一六一一年頃)のように、自害の場面を描いたものが特に人気を博した。ロット作中の版画でも、裸体の女性が今まさに短剣を胸に突き立てようとしている。モデルはそれを右手で指し示しつつ、鑑賞者の視線を版画へ誘おうと真っ直ぐ画面の外を見つめる。さらに、テーブルの上の紙片には、「ルクレツィアの例に倣い、どんな女性も不名誉な中で生きることはない」という文言が綴られている(2)。黄色い菫の小さな花束は、貞操と美徳を象徴し、この既婚女性の高潔さと純潔さを強調するために置いてあるのだ(3)。語り継がれてきた同名の女性を重ねることで、彼女もまた「ルクレツィア」的な精神の持ち主であることが仄めかされているが、その冷静で知的な表情と眼差しこそが、絵画的役割を抜きにしても、彼女の誇り高さを語っているようだ。
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