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鏡が浮き彫りにするのは、目に見えない真実か、仮初の現実か 第10回 画家の目としての鏡の役割

 鏡と化粧するウェヌスというモチーフは、フランスのフォンテーヌブロー派にも好まれた主題であった。一五五〇年頃に描かれた〈化粧をするヴィーナス〉もまた、ティツィアーノ作品と同様に、恋人との逢瀬に備えて身繕いする女神が描かれているが、こちらは浴室が舞台となっている。浴槽の縁に腰掛けたウェヌスは、鏡を手に髪形を確認し、お付きの侍女がクッションに膝をついて控え、クピドは香油壺を女神に差し出している。入浴の優雅な様子が表されているが、ここでは鏡は小道具以上の機能は持たない。それに対し、十九世紀イギリスの画家エドワード・バーン=ジョーンズの〈ヴィーナスの鏡〉(一八七五年)では、水鏡が不思議な魅力を作り上げている。岩山の連なる荒涼とした風景を背に、ウェヌスと乙女たちが前景に広がる池のほとりに集まっている。女神は画面左側から数えて三人目の位置におり、この集団の中で唯一屈むことなく佇んでいる。薄い青色の服をまとうウェヌスは、頭に宵の明星を表す小さな光を戴く。女神の取り巻きの女性たちは、蓮の葉を浮かべ水色の小さな花が群生した池を覗き込む。池は滑らかな鏡となり、花冠を被る彼女たちの姿を鮮やかに映し出す。池の周りに群生した花が、そのまま水に映った女性たちを飾り立て、水のニンフと見紛うような姿に仕上げているのだ。この植物に彩られる鏡像の描写は、自然の仕掛けの面白さと同時に、鏡の神秘性をも表しているのだ。

フォンテーヌブロー派 〈化粧をするヴィーナス〉1550年頃 フランス、パリ[ルーヴル美術館]
フォンテーヌブロー派 〈化粧をするヴィーナス〉1550年頃 フランス、パリ[ルーヴル美術館]
エドワード・バーン・ジョーンズ 〈ヴィーナスの鏡〉1875年 ポルトガル、リスボン[グルベンキアン美術館]
エドワード・バーン・ジョーンズ 〈ヴィーナスの鏡〉1875年 ポルトガル、リスボン[グルベンキアン美術館]
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石沢麻依

1980年、宮城県仙台市生まれ。東北大学文学部で心理学を学び、同大学院文学研究科で西洋美術史を専攻、修士課程を修了。2017年からドイツのハイデルベルク大学の大学院の博士課程においてルネサンス美術を専攻している。
2021年「貝に続く場所にて」で第64回群像新人文学賞、第165回芥川賞を受賞。
著書に『貝に続く場所にて』『月の三相』がある。

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