2023.8.24
鏡が浮き彫りにするのは、目に見えない真実か、仮初の現実か 第10回 画家の目としての鏡の役割
鏡と化粧するウェヌスというモチーフは、フランスのフォンテーヌブロー派にも好まれた主題であった。一五五〇年頃に描かれた〈化粧をするヴィーナス〉もまた、ティツィアーノ作品と同様に、恋人との逢瀬に備えて身繕いする女神が描かれているが、こちらは浴室が舞台となっている。浴槽の縁に腰掛けたウェヌスは、鏡を手に髪形を確認し、お付きの侍女がクッションに膝をついて控え、クピドは香油壺を女神に差し出している。入浴の優雅な様子が表されているが、ここでは鏡は小道具以上の機能は持たない。それに対し、十九世紀イギリスの画家エドワード・バーン=ジョーンズの〈ヴィーナスの鏡〉(一八七五年)では、水鏡が不思議な魅力を作り上げている。岩山の連なる荒涼とした風景を背に、ウェヌスと乙女たちが前景に広がる池のほとりに集まっている。女神は画面左側から数えて三人目の位置におり、この集団の中で唯一屈むことなく佇んでいる。薄い青色の服をまとうウェヌスは、頭に宵の明星を表す小さな光を戴く。女神の取り巻きの女性たちは、蓮の葉を浮かべ水色の小さな花が群生した池を覗き込む。池は滑らかな鏡となり、花冠を被る彼女たちの姿を鮮やかに映し出す。池の周りに群生した花が、そのまま水に映った女性たちを飾り立て、水のニンフと見紛うような姿に仕上げているのだ。この植物に彩られる鏡像の描写は、自然の仕掛けの面白さと同時に、鏡の神秘性をも表しているのだ。
記事が続きます
記事が続きます