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鏡が浮き彫りにするのは、目に見えない真実か、仮初の現実か 第10回 画家の目としての鏡の役割

 西洋絵画において、鏡は虚栄や肉欲の寓意像の小道具であると同時に、化粧道具の一つとしても扱われてきた。特に中世になると、愛人や恋人との逢引を前に、鏡や櫛を手に身だしなみを整える女性という主題が広まっていった。この図像は、化粧室の愛と美の女神ウェヌスを表した古代の彫刻を踏まえたものであるが、中世以降に鏡に見入るウェヌスもまた「化粧する女性」像として人気を博してゆく。その主題に取り組んだ代表的な画家の一人に、十六世紀ヴェネツィアで活動したティツィアーノが挙げられる。彼はウェヌスをテーマに様々な新しい作風を打ち立ててきた。彼の〈鏡を見るヴィーナス〉(一五五五年頃)は数多くのヴァリアントが作られるほど人気の主題であり、後にルーベンスやベラスケスにも影響を与えている。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 〈鏡を見るヴィーナス〉1555年頃 アメリカ、ワシントン[ナショナル・ギャラリー]
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 〈鏡を見るヴィーナス〉1555年頃 アメリカ、ワシントン[ナショナル・ギャラリー]

 苔色のカーテンが下がる室内で、ウェヌスが鏡の中の自分を見つめている。綺麗に結い上げた金髪には頭飾りの他、真珠紐が巻き付いている。耳には大粒の真珠、両手首に黄金の腕輪、左小指には指輪が飾られ、毛皮と金襴の縁取りのある紅の外衣が半ばはだけつつも、白く豊満な身体を包み込んでいる。左手で胸元を隠し、右手で外衣を引き寄せ恥部を覆う仕草は、古代の彫像「恥じらいのウェヌス」に見られる典型的なポーズである。女神が腰を下ろすのは、寝台なのだろうか。金と褐色の縞のあるクッションの上には、クピドが二人立っている。一人は鑑賞者に背を向け小さな翼を晒しながら、女神が覗き込めるように黒い枠のある長方形の鏡を抱えている。その足元には、赤い矢筒が転がる。もう一人は鏡の陰から身を乗り出し、ウェヌスに花冠を載せようと掲げる。この美しく装い、身だしなみを鏡で確認する様子から、おそらく女神は恋人の訪れを待っているところだと考えられてきた。
 鏡にはウェヌスの顔が部分的に映っているものの、よく見れば顔の向きが一致していない。ウェヌス自身はほとんど横顔を見せているが、鏡像の方は正面から見た顔を晒している。この生身と虚像のずれは、フェルメールの〈音楽の稽古〉と同様に、恋人との関係性を示唆する機能があるのだ。鏡の中の女神の眼差しは、鑑賞者の方に向けられている。そのために、画面の外にいる鑑賞者の眼差しと絵の中のウェヌスのそれが交わることになるのだ。同時に、女神が迎えようとする恋人は鑑賞者の位置にいることになり、観ることによって束の間の恋人になることが可能となる。鏡の外のウェヌスは恋人の訪れを待ちあぐねているが、鏡像のウェヌスはすでに相手を捉えている。鏡像による時間もしくは物語の先取りを通して、画面の内外の境界が溶け、この美しい女神が鑑賞者の前に現れることになるのだ。

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石沢麻依

1980年、宮城県仙台市生まれ。東北大学文学部で心理学を学び、同大学院文学研究科で西洋美術史を専攻、修士課程を修了。2017年からドイツのハイデルベルク大学の大学院の博士課程においてルネサンス美術を専攻している。
2021年「貝に続く場所にて」で第64回群像新人文学賞、第165回芥川賞を受賞。
著書に『貝に続く場所にて』『月の三相』がある。

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