2023.8.24
鏡が浮き彫りにするのは、目に見えない真実か、仮初の現実か 第10回 画家の目としての鏡の役割
全体の雰囲気、色使い、モチーフ……さまざまなアプローチがありますが、細部の意味や作品世界の背景を知れば、より深く絵画を味わうことができます。
古代ギリシャ・ローマ神話、キリスト教、聖母、聖書の物語世界、寓意、異端、魔女……画家が作中に散りばめたヒントに込められた意味とは。
小説執筆と並行して美術研究を重ねる、芥川賞作家の石沢麻依さんによる西洋絵画案内です。
第10回 画家の目としての鏡の役割
七月のある真昼、スペインのプラド美術館で、一枚の絵を見つめる人がいる。同じ頃、リスボンで彼の友人マリア・カルモが息をひきとった。そうして、絵を見る人は彼女の葬儀に立ち会おうとポルトガルに向かい、旅の間に幾度となく亡き女性が語った記憶の囁きに耳を傾ける。しかし、最後に彼が目にするのは、合わせ鏡の中をくぐり抜けたように、現と夢想が互いに乱反射する友人の生の一部だけであった。
鏡というものを考える時、頭の中にすんなり浮かんでくるのは、今は亡きイタリアの作家アントニオ・タブッキの短編「逆さまゲーム」と、無口なベルンハルトのことである。ゲッティンゲンに住んでいた頃、語学学校の講師からタブッキの読書会を教えてもらい、好奇心に引きずられるままに参加していたことがあった。他者の生と交わる時、互いが合わせ鏡となって映し出されるものがある。それは記憶や過去と呼ばれるものかもしれず、そこに浮かぶ幾つもの顔や、幾つもの分身が自分に追いついて、痛みや苦み、時には甘やかに悲しみをもたらすことを書き続けた作家。十人にも満たないその小さな読書会に、ベルンハルトの姿も混じっていたのである。
大学の数学科の学生である彼は、他の参加者のようにタブッキの小説の魅力を語り出すことなく静かに、しかし熱心にテクストを読み込む人であった。一度だけ目にした彼の本には鉛筆での書き込みが氾濫し、それ自体が一枚の黒い素描のようにも見えてしまうのだった。抽象画じみたテクストと同じくらい、彼もまた得体のしれなさにすっぽり隠れたまま読書会に顔を出し、「逆さまゲーム」へと読み合わせは進んでいった。
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ある夕方、大学図書館の狭いゼミ室を訪れると、ベルンハルトがぽっかりと白い無表情のまま一人座っていた。薄明るいその空間にあまりにも気配が上手く溶け込んでいるため、余計に室内を占める空白が際立ってしまっている。そこへ扉が開いて、ハンナという参加者が携帯電話を片手に現れた。「今日の集まりはひとまず中止ですって」そして、彼女に誘われるままに、私とベルンハルトは植物園のそばの喫茶店についてゆくことになった。森の隠れ家風のその店では、紅茶を注文すると小さな陶器のボウルになみなみと注がれて出される。スパイスをふんだんに入れたボウル入りチャイを三人で注文すると、ハンナの携帯電話がきりきり鳴り出した。騒ぐそれをつかんだ彼女は、中庭の緑の陰に紛れ込んでしまい、なかなか戻ってくる様子はない。そして、ベルンハルトは相変わらず口をつぐんでいる。その居心地の悪さに、外でハンナは樹木に変容したのだろうか、と恨めしく思う私の目は、彼の手元にあるタブッキの本から覗くものを捉えた。会話の糸口にしたモノクローム写真を、ベルンハルトは表情を変えることないまま見せてくれる。
古い鏡の奥で、雨が灰色に降り続ける。その中を黒っぽい人影が通り過ぎてゆく。黒い木枠に囲まれた鏡には、陰鬱な雨降りの時間が切り取られていた。鏡に映った光景を撮った写真かと思ったが、そこには奇妙なずれがあるような気がしてならない。鏡の内と外の光源、鏡面を幾筋も走る水滴、鏡に映らない撮影者。鏡像への違和感を口にすると、ベルンハルトの顔は笑みに柔らかく崩れた。「四年前の秋、ハンブルクの喫茶店の鏡に映ったものを拝借した」彼の説明によれば、写真の木枠には鏡ではなく、撮影した鏡像写真がはめ込まれているとのことだった。「弟のディーターが撮ったんですよ」そして、双子の、と続ける。
ベルンハルトの双子の弟は写真を趣味とするが、カメラを向けるのはいつも鏡に映った人や景色、静物だけであった。街や家の中に鏡は無数に紛れ込んでいる。ビルの壁面を覆うマジックミラー、城館を利用した博物館の古い鏡、美容室、ダンススタジオ、鏡面状のオブジェ、夜の中を走る列車の窓、池や水たまり。この鏡像写真家は、さかしまに映るものを見つける度に写真にして、古い鏡枠に嵌め込んでしまうとのことだった。そのため彼らの実家の壁にほぼ鏡はなく、どこかの時間や場所を凍りつかせたモノクロームの鏡像がかかっているそうだ。「つまり、鏡像が流れず固定されているんです」そう説明を終えたベルンハルトは、写真を取り上げ、タブッキの短編集に挟んでしまう。絵を解く鍵は、背後の人物にあるのよ、この絵は逆さまゲームなのですから。彼が本を閉じる前に目に飛び込んできたのは、マリア・カルモが口にした絵に対する言葉と、その下にくっきり引かれた線であった。
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