2023.4.27
ボッティチェリ、クラーナハがウェヌス(ヴィーナス)を通して伝えたかったこととは 第7回 美女たちが見つめる先に映るもの
この古代の女神が彫られ、描かれたものを見てゆくと、そこには幾つか人気の型があることに気づかされる。特に、海から生まれ出た女神を描いた〈ウェヌスの誕生〉は、背景の淡い翠の海に重なる波のように、後世の作品にまでその影響が幾重にも押し寄せていた。ボッティチェリの絵画の中、浅瀬に乗り上げた貝殻の上で、ウェヌスは体重を感じさせない柔らかな姿勢をとっている。生まれ落ちたばかりのその身は、いまだ地上と結びついていないのか、波と空気に揺蕩っているかのようにどこか穏やかな雰囲気をまとう。彼女の右手は胸の上に置かれ、左手は長い金髪を摑んで恥部を隠している。これは「恥じらいのしぐさ」のヴァリアント(変種)の一つで、〈メディチのウェヌス〉など古代彫刻に見られる表現であった。ボッティチェリの重要な顧客としてメディチ家の名が挙げられるが、その彫刻コレクションを目にし、作品に転用した可能性が高い。
女神の誕生を言祝ぐように、神々が左右から中央へと歩み寄るのが見えるだろう。画面右側にいるのは、季節と時間の女神ホーラ。彼女はウェヌスに着せかけようと、植物模様が織り込まれた薄紅の衣服を広げている(1)。植物は大地に根ざすものであり、それをまとうことで女神は海から大地へと移ろってゆくのだろう。左側で風を送るのは西風のゼフュロス。頬を膨らませて息を吐き出す彼の服も、波打つ髪も柔らかくたなびいている(2)。宙をくるくると舞う薄紅の薔薇は、愛を象徴する花であり、ウェヌスのアトリビュートのひとつだ。そして、有翼のゼフュロスに手足を絡めているのは、大地の女神クロリスであり、その眼差しはどこか物憂げな雰囲気を湛えている。この西風と女神の組合せは〈春〉にも登場し、画面右側の暗い木立の間から、青白い西風が突如姿を現し、薄物をまとったクロリスを攫おうとする様子が描かれている。驚いた彼女の口から植物があふれると、そのまま隣に佇む、全身が花で覆われた女神フローラへと変容するのだ。この〈春〉における緊張関係とは対照的に、〈誕生〉で二人は恋人同士という柔らかな空気に包み込まれている。
女神のしなやかな身振りや風を孕んで膨らむ服、宙を舞う恋人たちと薔薇、岸辺に寄せる波など、この絵を作る一つ一つの断片は緩やかな動きに満ちている。しかし、画面全体を視界に入れた途端に、絵の中を流れる時間は物憂げに、そして澄明に静止してしまうのだ。
記事が続きます
このボッティチェリの絵画に呼応し描かれたのが、十九世紀フランスの画家ウィリアム・ブグローの〈ウェヌスの誕生〉(一八七九年)であった。プットーが群れる甘い薄紫の空と穏やかな海の境に連なる青い影は、ウェヌス誕生の地であるキプロス島を表している。島影の大きさから、場面の舞台となっているのは、岸からさほど離れていない遠浅の海なのだろう。泡や水飛沫がそのまま凍りついたような形状の帆立貝。純白の殻の上に、長い金髪を垂らしたウェヌスが姿を現す。ボッティチェリ画の「恥じらいのしぐさ」とは異なり、ブグローのウェヌスはその美しい姿態を余すところなく見せるように描かれていた。左脚に重心を置き、右脚を軽く添えたコントラポストと呼ばれる姿勢をとり、髪をかき上げる左腕は高く上げられ、女神の全身はS字型を形作っている。この姿は、ドミニク・アングルの〈海から上がるウェヌス〉(一八〇八―一八四八年)の裸体の女神像を彷彿とさせるだろう。頭上まで上げた腕こそ逆だが、重心をかけた脚としなやかな曲線を描く胴体など共通点が幾つも見られる。
記事が続きます