2023.2.23
老婆か妖婦か。激しい魔女狩りが起こった理由とは 第6回 社会の害悪の象徴として描かれる魔女
キルケーの魔女のイメージを強調した絵画の一つに、イタリアのフェラーラで活動したドッソ・ドッシの〈風景の中のキルケーと恋人たち〉(一五二五年頃)が挙げられる。暗い森と鏡のように静まり返った水面。雲に覆われた空は暗い青で満たされ、雲間からわずかに光がこぼれ落ちる。それは辺りの静かな暗さを強調し、黄昏時のような仄明るさで包んでいる。光は、黒々とした森を背に水辺に佇むキルケーを照らす。白い柔らかな裸体、花の鬘を戴いた髪は長く垂れ、金の靄のように淡く漂っている。彼女を取り巻くのは鹿や白い仔犬、グレイハウンド、梟、鷹、ヘラサギなどだ。この鳥獣は皆、キルケーによって姿を変えられた男性たちなのだろう。彼女の美しい裸体は誘惑を体現し、獣たちは恋い慕うように従順な様子を見せている。変身の魔術を行う際、魔女に特有の怪しげな材料を釜で煮込み抽出した毒物ではなく、文字の刻まれた石板と足元の魔方陣の描かれた書物を使うのだろう。この道具によって、キルケーの魔術師としての知識の豊かさや教養が示唆されているのだ。
さらに、魔女は聖書主題の作品内にも登場することになる。旧約聖書サムエル記上二十八章七―二十五節に、エンドルの女霊媒師を訪ねるサウル王の話が記されているが、それに斬新な視覚的イメージを与えたのが、十六世紀ネーデルラントの画家ヤーコブ・コルネリスゾーン・ファン・オーストザーネンの〈サウルとエンドルの魔女〉(一五二六年)だろう。海と森に囲まれた岩場と廃墟を舞台に、聖書内の物語と伝統的な魔女の表象が混交しているのだ。
画面左側、廃墟の門に佇む赤い布をまとう年老いた女性は、変装したイスラエル王サウルの一行と相対している(1)。サウルは死者を冥府から呼び出せる霊媒師の話を耳にし、フィリスティア人との戦の結果への予言を得るために、エンドルの地に足を踏み入れた。聖書に記されたこの内容は、左上に漂う吹き流しにラテン語で言及されている(2)。この訪問の場の背後には、軍の駐屯地が見られるだろう。この後に起こることは、画面中央の廃墟のアーチの奥に展開する。エンドルの霊媒師により、予見のためにサムエルは召喚されることになる。門を通して石棺から身を起こすサムエルが小さく見え、その後ろにはサムエルの予言に怯えるサウルの姿がある(3)。さらに遠景には、サウルとその息子たちが戦死するギルボアの戦いと、そのさなかに剣に倒れるサウルが描かれているのだ(4)。
画面前景を占めるのは、エンドルの女霊媒師が行う死者の召喚の儀式である。白い魔法円の中、細い燭台のそば、年老いた女性が二羽の梟を椅子代わりに腰を下ろしているが、この梟は呼び出した悪魔的な力から身を守るものでもあった。左手に握られたトーチは火鉢に差し込まれ、右手が握る方は高く宙に掲げられている(5)。
この儀式のさまは、ドッソ・ドッシの〈メリッサ〉(一六〇〇年頃)を思い起こさせるだろう。そこでも、火鉢にかざされたトーチや燭台の他、召喚用の書物に鏡が道具として描きこまれていた。オーストザーネンの絵画ではサテュロスが本を、甲羅で覆われた鳥めいた奇妙な生き物が鏡を抱えている。腰まで赤い服をはだけ両脚を交差した霊媒師の姿は、性的な逸脱の寓意であった(6)。彼女とその隣に座る儀式の助手である女性の髪は、後ろに長く風になびいている。ここに、ハンス・バルドゥング・グリーンの魔女の特徴を見て取ることができるかもしれない。さらに、画面右側の魔女たちは、木版画〈魔女のサバト〉を引用していることが明らかである。魔女たちは牡山羊に腰掛け、大きな甕を両脚の間に挟み、腸詰肉を焼き網に載せ、老女が間から覗き込んでいる。服をまとっていても、三人の魔女たちの身体の輪郭は露わだ。さらに、赤い服の若い魔女は聖体用の杯を宙に掲げ、その上で雄鶏が引く馬の頭蓋骨に跨る魔女が、パンの載った皿を捧げているが、これは教会の聖体拝領の儀式のパロディだろう。そして、その傍に佇む髭を蓄えたサテュロスは、伝統的に肉欲や好色の記号として扱われてきた(7)。さらに、画面右側の背景を占める空と海は、不穏な雰囲気を醸し出していた。空は黒雲に覆われ、火が降り注ぎ、船は転覆し沈没しかけている。しかし、それは自然災害ではなく、魔女が引き起こす災厄として描かれているのだ。その証拠に、荒れる空を異形の者の姿が小さく飛び、それを率いるのが口と尻から火を噴く牡山羊と箒に乗る魔女たちだった(8)。オーストザーネンは聖書の女霊媒師と、当時共有されていた魔女像を結びつけているが、この二つは違和感なく溶け合っている。死者の召喚という聖書内の出来事は、十六世紀に定着していた魔女の儀式のイメージを重ねられ、かつ魔女の性的な側面も取り込み、以降の絵画に影響を与えていった。
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