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ドイツが豊かな森を描く一方、ボスやブリューゲルが目指した表現とは 第3回 絵の中の物語を包む風景の主役感

暖かい色彩を帯びたブリューゲルの世界

 ボスとパティニールの系譜に連なるのが、「農民画家」ピーテル・ブリューゲル(父)である。ネーデルラントのことわざなどを視覚化した寓意性に満ちた表現と、農村の営みを取り込んだ豊かな風景表現が、この画家によって生み出された。パティニールの硬質さと比べると、ブリューゲルの風景はより暖かい色彩を帯び、現実と幻想の土地という二つの印象を組み込んでいるように思われる。晩年の作品である季節画のひとつ、〈雪中の狩人〉(一五六五年)は、猟犬を引き連れた狩人が農村に帰ってきた冬の情景を描いている。狩人の立つ丘の下に広がる凍りついた池には、スケートを楽しむ村人の姿がある(1)。画面手前の家並みと樹木の連なりが鑑賞者を誘導し、遠近法的に配置された荷馬車の走る道、小さな集落、そして画面右奥の切り立つ岩山へと眼差しは引きつけられてゆく(2)。さらに、川の延びる遠い先には、白くかすむ都市景観が見えるだろう。てついた白の情景は静けさに満ちているが、寒々しく孤独な印象は与えない。色彩は限られているのに、温かな画家の眼差しが画面からにじみ出てくるのだ。それは、おそらくこの冬の風景画が、神の視点から構築された世界ではなく、移ろう地上に生きる人間に焦点を当てているからではないだろうか。

ピーテル・ブリューゲル(父)〈雪中の狩人〉1565年 オーストリア、ウィーン[美術史美術館]
ピーテル・ブリューゲル(父)〈雪中の狩人〉1565年 オーストリア、ウィーン[美術史美術館]

 ブリューゲルの静かな冬景色は、自然の豊かな表情と人間の生だけではなく、見る者の中に沈む冬の記憶をも呼び起こすものである。この調和する風景画は、アンドレイ・タルコフスキーの映画で、記憶の道具として繰り返し姿を現す。『鏡』(一九七五年)に、雪に白く覆われた川辺と小さな黒い人影を映した場面がある。斜面で振り返る少年の目に映るその光景は、ブリューゲルの冬の構図をなぞっているのだ。そして、『惑星ソラリス』(一九七二年)の宇宙船のラウンジの壁には、〈雪中の狩人〉が飾られていた。この二つの映画の中で、冬の絵画は記憶や過去と重ねられている。一方は子供時代の記憶、もう一方は地球に置き去りにした愛情の記憶と結びつくものであった。過去から隔たった現在も、宇宙というかつて神の視点が置かれた場所も、俯瞰する眼差しと切り離すことはできない。この反復する白の世界は、かつて過ごした冬という時間的な区切りや、通り過ぎた風景という空間的な枠組みを超えて、ノスタルジーの気配すら漂わせている。

※1 人物名、絵画タイトルは『西洋美術の歴史 4ルネサンスⅠ』(中央公論新社/二〇一六年)『西洋美術の歴史 5ルネサンスⅡ』(中央公論新社/二〇一七年)を参考にしています。
※2 初期ネーデルランド絵画と初期フランドル絵画は、十五‐十六世紀のフランドル地方の画家たちによって制作された作品を表し、同じものを指しますが、文中では「初期ネーデルラント絵画」で統一しています。

編集協力/中嶋美保

次回は12月22日(木)公開予定です。

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石沢麻依

1980年、宮城県仙台市生まれ。東北大学文学部で心理学を学び、同大学院文学研究科で西洋美術史を専攻、修士課程を修了。2017年からドイツのハイデルベルク大学の大学院の博士課程においてルネサンス美術を専攻している。
2021年『貝に続く場所にて』で第64回群像新人文学賞、第165回芥川賞を受賞。

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