2022.11.24
ドイツが豊かな森を描く一方、ボスやブリューゲルが目指した表現とは 第3回 絵の中の物語を包む風景の主役感
「世界風景」を提示したヨアヒム・パティニール
ボスの〈快楽の園〉で、遠い山並みは青く描かれているが、この青による遠近感を用いて風景を立体的に表現したのが、同時期に活動したヨアヒム・パティニールであった。パティニールは鳥瞰的に広大な大地や海、川や森などの地形的要素をまとめ上げ、その中に小さく宗教主題を配置した。果てしなく続くように見えるそのパノラマ的な自然は、「世界風景」と呼ばれている。彼の〈聖ヒエロニムスのいる風景〉(一五一六―一七年)は、その一例と言えるだろう。聖ヒエロニムスをめぐる伝説のひとつに、傷ついた足の裏から棘を抜いてあげた獅子を従えるというものがある。そのために、アトリビュートである獅子と共にこの聖人は描かれ、デューラーの〈聖ヒエロニムス〉(一四九六年頃)のように、画面に豊かな自然風景が取り込まれることもあった。しかし、パティニールの絵画では、獅子の前脚を手に取り棘を抜こうとする聖人が見えるが、緑豊かな風景と比較すると非常に小さい。何故なら、ここでは風景の方に比重が置かれているのだ。画面全体を占めるのは、六月の水気を帯びた森を思わせる緑と青の世界。不思議な形の岩山に修道院が立ち、森の奥には小さな町が横たわる。柔らかな緑は遠方に向かうにつれ青を深め、次第に硬質な印象へと変わってゆく。靄を帯びた青の中にも都市が小さく浮かび上がり、海の向こうへ、さらに白い山の奥へと青みがかった世界は続いてゆくようだ。群青色の雲の塊は雨を運び、それが途切れた先に広がる薄明るい空とのコントラストが美しい。この青の箱庭のような世界では、物語主題の時間が静止していると感じてしまうほど、空間は永遠性を帯びて見えてくるのだ。
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