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画家の目と絵筆を通して鮮やかによみがえる、土地の姿と営みと 第2回 時間と空間を再現する風景描写

 視覚表現を通して、都市の栄光を知らしめる方法は様々にあり、宗教画の中に組み込まれることもあった。十五世紀ヴェネツィアで活動した画家カルロ・クリヴェッリの〈聖エミディウスを伴う受胎告知〉(一四八六年)は、理想的都市の情景と聖書の場面を組み合わせた作品である。それ以前の受胎告知の背景表現としては、サン・マルコ美術館所蔵のフラ・アンジェリコの〈受胎告知〉(一四四〇―四五年)に見られるように、聖母マリアの簡素な居室や閉ざされた庭が採用されていた。それに対し、クリヴェッリの絵画は、細部まで装飾性に満ちた華美な都市の印象が強く前面に出ている。
 大理石や煉瓦れんがの壮麗な建物の外壁は、優雅な植物文様で覆われ、通りは整然とした様子を見せている。受胎告知の舞台となる聖母マリアのいる建物もまた、外壁に劣らず華美であり、二階の天井に浮彫り装飾が施され、ロッジアには精緻に模様が織り込まれた布が掛けられ、キリストの不死の寓意である孔雀(1)が羽を休めている。一階の聖母の居室もまた、金の刺繍のある赤いカーテンや寝台の緑の布、聖母がひざまずく祈祷台の木目模様など細部まで手が込んでいる(2)。また、壁際の硝子がらすの水瓶(3)が象徴するのは、聖母の処女性であった。画面下の瓜と林檎(4)も、同様に寓意性を帯び、前者はキリストの苦難と復活を、後者は原罪とキリストによる救済を意味していた。

フラ・アンジェリコ(イタリア) 〈受胎告知〉1440‐45年 イタリア、フィレンツェ[サン・マルコ美術館]
フラ・アンジェリコ(イタリア) 〈受胎告知〉1440‐45年 イタリア、フィレンツェ[サン・マルコ美術館]
カルロ・クリヴェッリ(イタリア) 〈(聖エミディウスを伴う)受胎告知〉1486年頃 イギリス、ロンドン [ナショナルギャラリー]
カルロ・クリヴェッリ(イタリア) 〈(聖エミディウスを伴う)受胎告知〉1486年頃 イギリス、ロンドン [ナショナルギャラリー]

 さらに、線遠近法によって、街の細い路地と深い奥行きという構図が生み出されているのだ。画面内の平行線が集約する一点、つまり消失点が置かれているのは、画面奥の格子窓の前にたたずむ男性の赤い帽子の辺りであった。その真上、空に浮かんだ雲から、父なる神と聖母マリアの間を橋渡しする光が延びている(5)。壁の小さな開口部を通って聖母の方へ向かう聖霊(鳩)(6)は、処女懐胎を暗示するものであった。
 クリヴェッリのこの絵画は、イタリアのマルケ地方にあるアスコリ・ピチェーノ市が、ローマ教皇シクストゥス四世から自治権を与えられた記念に、同市の教会の祭壇画として制作された。この知らせを受けたのは、一四八二年三月二十五日、受胎告知の祝日のことであったために、作品は聖書の「受胎告知」と都市の自由化という二つの主題が混ざり合っている。自治権獲得を伝える文書は、画面奥の橋の上に佇む二人のうち、黒い衣服に身を包んだ男性の手で広げられている。また、画面下の緑地に金文字で記された「LIBERTAS ECCLESIASTICA (教会の自由)」も、この出来事を示唆しているのだ。
 それを強調するのが、アスコリ・ピチェーノ市の守護聖人である聖エミディウスの姿であった。聖母の家の前に跪く天使ガブリエルのそば、司教冠(ミトラ)を被った聖人が都市の模型を手にしている。この宗教画に組み込まれた都市の姿、そして都市模型によって、街は聖性と同時に理想的な都市という印象をも獲得するのだろう。さらに、受胎告知が起きたのが、あたかもアスコリ・ピチェーノ市であるかのように描かれることで、聖書の場面は土地と深く結びつき、歴史性をも帯びてくるのである。また、画面下の瓜は、鑑賞者のいる現実にも半ばはみ出しているような描き方がされている。このトロンプ・ルイユ(だまし絵)の技法もまた、画面内外の世界の連続性を感じさせるのに一役買っているのだ。

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新刊紹介

石沢麻依

1980年、宮城県仙台市生まれ。東北大学文学部で心理学を学び、同大学院文学研究科で西洋美術史を専攻、修士課程を修了。2017年からドイツのハイデルベルク大学の大学院の博士課程においてルネサンス美術を専攻している。
2021年「貝に続く場所にて」で第64回群像新人文学賞、第165回芥川賞を受賞。
著書に『貝に続く場所にて』『月の三相』がある。

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