「しない。」生活のなかだからこそ、手に入れるもの、するべきことは
試行錯誤を繰り返し、日々吟味している群ようこ氏。
そんな著者の「しました、食べました、読みました、聴きました、着ました」
など、日常で「したこと」をめぐるエッセイ。
自宅でできるあんなこと、こんなことのヒントがいっぱいです!
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2020.5.28
美しい写真を眺める
今日は、これをしました 第3回

今は書店に行くのも難しくなっているけれど、以前は、ほぼ毎日、ちょこちょこと本を買っていた。ときには価格と大きさを見て、
「今日はやめておこう」
と思った本もあった。今は宅配便のお兄さんが運んでくれるので、私が重たい思いをすることはないのだが、一回に買う金額の基準が自分にはあった。それを繰り返しているうちに、価格が高くて買うのをやめにした本がたまっていくので、一年に一回、それが爆発する。
「今日は絶対に買ってやる!」
と意気込んでサイトで検索し、カートに無事入れられると、
「よしっ」
と達成感がある。価格の高い本は刷り部数が少ないので、発行日からあまり年月が経つと、そのまま品切れになってしまう可能性があり、あっと思ったときにはすでに入手困難になってしまう場合も多い。古書でみつかることもあるが、定価よりも高くなったりするので、時期の見極めが難しいのだ。
そういう本は大判の写真集が多い。置く場所を確保するのも大変だし、買ってから何度も見て堪能した後は、内容が好きそうな友だちにあげてしまう。今、手元にあるのは手放すのが惜しいものばかり、といっても冊数は少ない。そしていつも手に取るわけでもないのだが、毎日、コロナ、コロナとうるさい最近では、晩御飯を食べた後、文字を読むよりも、写真や絵を眺めているほうが気持ちが落ち着く。なので写真集を手に取る回数がとても多くなってきた。
そのうちの一冊は、潮田登久子著『冷蔵庫』である。著者を知ったのは夫の島尾伸三氏との共著、『中華人民生活百貨遊覧』だった。当時、私は香港、マカオ、中国など、それらの国々にとても興味があったので、本を手に取り、色鮮やかな写真もエッセイもすべて楽しく、面白く読んでいた。その後、発売された島尾氏のモノクロ写真とエッセイがふんだんに収録されている『生活』も好きな本で、何度も読み返している。写真に写っているかわいい女の子が、のちにしまおまほとして活躍しているのも感慨深かった。もちろん彼女の『女子高生ゴリコ』も買った。
当時は今と違って、インターネットで気軽に検索できるような状況ではなく、自分なりに、一般書店にはあまり流通しない本を探すのは上手いと思っていたが、ずいぶん後になって『冷蔵庫』があるのを知ったのだった。
なぜこの本に興味を持ったかというと、子供のときの私は、よその家の冷蔵庫に興味津々だったからだ。特に食い意地が張っていたわけでもないのに、あの台所にある扉の中にいったい何があるのか、知りたくてたまらなかった。中から食べ物を取って盗み食いをするなどという気持ちは一切なく、扉を開けてそこに何があるのかを、確認したいだけだったのだ。友だちの家に行くと、必ず冷蔵庫を開けて確認した。私は悪気はなかったのだが、「こんにちは」とやってきた娘の友だちが、とことこと台所にきて、突然、冷蔵庫の扉を開けたら、親はびっくりするだろう。今の私だったらわかるけれど、五、六歳の子供には、人の物を盗んだり傷付けたりしているわけでもなく、ただ冷蔵庫の扉を開けて、
「ふーん」
と見てすぐに閉めるだけだったので、罪悪感はまったくなかった。
いろいろな家でやっていたので、どの家のお母さんがいったのかはわからないが、それがうちの両親に知れて、
「何ということをしているのかっ!」
とこっぴどく叱られた。しかし自分では悪いことをしている意識が皆無なので、叱られても泣きもせずに、
(へえ、そうなのか。じゃ、やめとこう)
と思った程度だった。両親は私が反省する様子を見せずに、ふだんと同じ態度でいたので、いつまでも怒っていた。しかしそれ以降は、いけないことであるらしい冷蔵庫覗きはしなくなったため、トラブルもなく私はそのまま成長した。
四十歳を過ぎてその話を友だちにしたら、
「そんな子供だったの?」
と笑いながら呆れられた。
「みんな、そういうことはしなかったのかな」
と聞いたら、
「するわけないじゃない」
とまた笑われた。あらためて『冷蔵庫』の帯を見ると、
「『冷蔵庫』の中を覗き込むことは、他人の『ヒトに見せないウチの中』を覗き込むことだ。」
と書いてあり、
「ああ、そうだったのか」
と納得した。しかしやってはいけないことの興味の対象が著者と同じで、感激して写真集を購入したのだった。当時、単行本の四倍ほどの価格の写真集を買うのは、結構、勇気がいったけれども、私と同じ、それもコアな興味を持った人の本は、ぜひ買わなくてはならなかった。
被写体は福島県の一軒をのぞき、東京都内、近郊、近県の家がほとんどなのだが、一家の食料の収納ぶりが見られる。これを見ながら、私はなぜ、他人の家の冷蔵庫を開けるのが好きだったのだろうかと考えた。子供なので何があるかなどには興味がなく、ただ扉というものを開け閉めしたかっただけなのではないか。子供の力で開けられる扉は、冷蔵庫くらいしかなかったので、自分の家の冷蔵庫の開け閉めに飽きて、人の家に必ずある、子供が開けられる扉を開けたかっただけなのではないか。何かその中に目的のものがあれば、鮮明に覚えているはずだが、冷蔵庫を開けて叱られたことは覚えているが、中に何があったかなどはまったく覚えていない。私を笑った友だちから、
「うちの冷蔵庫は、いつでも開けていいからね」
といわれたのは覚えている。