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酒井順子「言葉のあとさき」
時代が変われば言葉も変わる。
そして、言葉の影に必ずついてくるのはその時代の空気。
かつて当然のように使われていた言葉が古語となり、流行語や略語が定着することも。
言葉の変遷を辿れば、時代の流れにともなう日本人の意識の変容が見えてくる……。
近代史、古文に精通する酒井順子氏ならではの冴えわたる日本語分析。

「寂しさ」というフラジャイル

言葉のあとさき 第20回

 配偶者を亡くされた方に対して、
「お寂しくなりますね」
 と慰める言い方があります。一緒に暮らしていた人がいなくなってしまう寂しさは、いかばかりのものか。お力になれることは何でもおっしゃってくださいね。……といった意が、そこには込められています。
 離婚した人や、恋人と別れた人に対しても、
「寂しくなっちゃうね」
 と言う場合があるものです。死別ではないのでさほど深刻にはならず、
「早く次の人、見つけよう!」
 といった激励の言葉をつけ加えるケースも。寂しさへの共感を示しつつも、次なるステップを提示することによって寂しさを忘れてもらいたい、という友心が、そこには滲む。
 しかし今、この手の慰めワードは、何となく口にしづらいご時世なのでした。それというのも昨今の人は、「寂しい人」と思われることに対して、強い拒絶反応を示すから。「さぞかし寂しかろう」と、勝手に推定して勝手に同情すると、
「別に寂しくないですけど」
と、憮然とされかねません。
独身の男女に、
「いつまでも一人じゃ寂しいでしょ? 早く結婚したら? ちゃんと婚活してる?」
 といったことを言うのも、当然ながら大アウト。そのようなことを言ってしまったなら、相手のSNSにはきっと、
「“寂しいでしょうハラスメント”受けたオバサン死ね」
 とか、
「寂しいかどうかは私が決める」
 といった怨嗟のフレーズが深夜に書き込まれるに違いありません。
 他人の寂しさを指摘しにくくなった背景には、家族観の変化があるように私は思います。よかれと思って「寂しいでしょうハラスメント」をしてしまう人と、「寂しいかどうかは私が決める」と思っている人の間にあるのは、家族感覚のズレ。すなわち前者は、「人は家族の中で生きるのが当然で、それが一番の幸せ」という信念を持っているのに対して、後者は「家族形態も幸せの形態も、人それぞれ」と思っているのです。
 かつての日本では、年頃になったら誰もが結婚し、自分が創設した家族の一員として生きることが当たり前でした。だからこそ、「一人で生きている人は、可哀想」という共通認識もあったのです。
「サザエさん」は戦後すぐに始まった漫画ですが、その時代の新聞連載漫画の登場人物として長谷川町子が三世代同居の家族を選んだのも、当時はその手の家族が一般的だったからでしょう。もしも波平さんが亡くなったなら、
「お寂しくなりますね」
 と誰かから言われたフネさんは、素直に目頭を押さえたのだと思う。
 そんな中で、「核家族化」という言葉が流行するようになったのは、一九六〇年代のことでした。今となってはすっかり聞く機会が減った、「核家族」。三世代以上で暮らす大家族が減少し、夫婦+子供とか、夫婦だけといった家族形態が増えてきたことを、当時は「核家族化」と言ったのです。その頃の若者達が、結婚後に自分もしくは配偶者の親と同居することを避けるようになったことによって、核家族化は進行しました。

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酒井順子

さかい・じゅんこ●1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。立教大学社会学部観光学科卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『下に見る人』『ユーミンの罪』『地震と独身』『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『次の人、どうぞ!』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『処女の道程』『鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む』など多数。

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